京都のすみっこの 小さなキリスト教書店にて 第五回 理不尽の中で出会ったふたりのお話
CLCからしだね書店店長 坂岡恵
略歴
社会福祉法人ミッションからしだね、就労継続支援A・B型事業所からしだねワークス施設長。精神保健福祉士。社会福祉士。介護福祉士。2021年より、CLCからしだね書店店長。
アメリカからやってきた留学生のデビッドさん。書店の宗教カルト本コーナーから動こうとしないので、
「アメリカでもカルトは問題になっていますか?」
と質問すると、彼はしばらく考えてから、
「アメリカでも、というか、私自身が宗教カルトみたいな家で育ちましたから」と、さらっと言いました。
「ご家族の愛情をたっぷり受けて、のびのび育った青年かと思っていました。『大草原の小さな家』のインガルス一家みたいに」と、私が能天気に言ったので、彼は苦笑しました。
「あれはアメリカ開拓時代の理想的な家族モデルですよね。でも、もう今は我が家に『オオカミが襲ってくる』ことはありません。だから、男はそんなに強くなくてもいいのです。」
時代が変わり、生活様式が変わっても、いや、変わっていくからこそ余計に、お父さんは「強い夫」「強い父親」のイメージにこだわり、デビッドさんのお母さんにも「従順で、料理が上手で、家の中をピカピカにし、子どもたちの世話をきちんとする女性像」を求めていたと言います。お父さんは、デビッドさんが姉妹にまじってキッチンで皿洗いをしようものならバカにしたように鼻で笑い、聖書を根拠にして「男性の正しい在り方」を説教したと言います。
そんなある日、デビッドさんのお姉さんが「大学に行って弁護士になりたい」と言いました。おとなしいお姉さんが、お父さんの目をしっかりと見て、噛みしめるように言った一言に、お父さんは一瞬、戸惑ったように沈黙し、それから顔を真っ赤にして怒りました。
「それなら弁護士と結婚すればいいだろう。女のおまえが自分で考えてやろうとしていることなんか、神が許すはずない!」
家族は皆、黙ったままでした。
「大学に行けなかった父は、女性の姉が大学に行くことが許せなかったんだと思います。家を出て、苦労して大学に行った姉のことを『不信仰者』と罵りながら、男の私にはなんとしても大学に行くように命じました。姉は誰のサポートも受けずに大学に行き、私は家族の全面的なサポートを受けて、大学に行ったのです。」
デビッドさんは、そう言って少し目を伏せました。
「それから姉はボランティアで外国の紛争地近くのキャンプに行き、現地の人と結婚して大学を辞めました。弁護士にもなりませんでした。父は『ほらみろ、大学なんか行く意味はなかった』と言って笑いましたが、このあいだ、姉から久しぶりにメールがきたんです。もうすぐ子どもが生まれると書いてありました。僕は叔父さんになります。」
お姉さん夫婦が暮らす地域は、危険と争いと憎しみから逃れてきた人たちがいる場所です。多くの子どもが大人になる前に命を失い、皆、今日一日を生き延びることでせいいっぱいです。お姉さんの夫も、家族を失くしました。
「姉は子どもを宿したことで、現地の人たちと自分とを隔てる『身分の差』を思い知ったと言います。豊かな国からやってきた姉には、安全に子どもを産む環境があり、逃げる場所があり、生まれる子どもにも、将来を夢見る権利が保障されています。平等なんて言葉は通用しません。」
どんなきれいごとを言ったとしても、そこには「命の差」があり「希望の差」がある。その理不尽な「差」を享受しながら子どもを生むことを、心から喜んでよいのだろうか?と、お姉さんは悩んだそうです。けれどもお姉さんの夫は、お姉さんを励ましてこう言いました。
「あなたが遠くの国から私のもとに来てくれたこと、出会ってくれたこと、結婚できたこと、子どもが生まれること、みんな神からのプレゼント。大喜びしていいんだよ。」
世界は悲しみで満ちています。たとえそれが人間の罪の結果だとしても、神様はわずかな隙も見逃さず、悲しみに覆われた地の割れ目に、喜びの種、命の種をまき続けておられるのでしょう。その種はカルトのような家で育った理不尽、紛争で家族を失った理不尽に溺れてしまうことなく、心の内に小さな灯をともし続けた二人にもまかれました。
「神の導き」とは、どういうことを言うのでしょう。それは、その人だけに贈られた特別な賜物を、より良いことのために用いたいと願う人間と、その願いを喜び、祝福したいと願われる神様との対話の中で、豊かに開かれていくもののように私は思います。
カルト本コーナーの前で、デビッドさんは嬉しそうに言いました。
「私もいつか、すばらしい人と出会って、一緒にお皿を洗いたい。」