書評Books この苦難はかえって福音の前進に役立っている

日本基督教団・葦のかご教会 牧師 坂本兵部

『だれを私は恐れよう
北朝鮮の刑務所で過ごした949日』
ヒョンス・リム 著
韓正美 訳
四六判・定価1,980円(税込)
いのちのことば社

北朝鮮という恐怖体制が、今この瞬間も、巨大な監獄さながらに人々を閉じ込め、虐げているという事実を、我が事のように思うのは容易でない。しかし著者は、韓国系カナダ人牧師としての忠実な歩みの中で、十八年の長きにわたって百五十回もその内部に深く入り込み、飢えと寒さで瀕死の人々に直接関わり、莫大な支援を実践してきた。

著者は唐突に当局に逮捕され、でたらめな裁判で死刑宣告を受け(後に無期労働教化刑に減刑)、約三年後に釈放された。その過程で、彼は死の峠を三度も越えたが、自分が被ったこの不当な仕打ちのすべてが、「本当に驚くべき祝福であることを悟った」(本文六五頁)と告白する。その理由は、北朝鮮の同胞の苦しみに身をもって参与できたこと(六六頁)、自分の内なる霊的不純物が取り扱われて、神様との交わりを刷新できたこと(六七~八〇頁)、そして自分の小さな苦難が世界のクリスチャンの祈りとつながることで、神の国が驚くほど拡大しているのが明瞭であることだと言う(九六頁など)。

その生き様は、図らずもパウロと似ているが、祈りの人である著者の夫人が、夫と会えない日々の中で信徒たちに書き送った美しい手紙の引用とともに、苦難に対するクリスチャンの処し方を、胸を打つように読者に教えてくれる。

著者は北朝鮮の支配層が倒れなければならないと主張して憚らないため、政治的左翼から批判されるが、同時に右翼からも、共産主義体制維持に利用されていると批判される(二五〇頁)。しかし、「私は保守でも進歩でもない……私はただイエス・キリスト以外には何も知らないと決めた人である」(同頁)と言い切る著者が、北朝鮮の地で、危険を顧みずに人々に福音を伝え、実際に魂の救いが続々と起きている証し(第七章)は圧巻で、そのような論争を圧倒する迫力に満ちている。まず自分自身がイエス・キリストと出会って変えられるその先にこそ、来たるべきリバイバルはあるのだ、という著者の訴えは、日本の読者の魂をも揺さぶり、大きな祝福になるであろう。