特集 どうやって読む? 聖書 全体を知り、一つ一つを味わうには 壮大な「美術館」を巡り歩くように
日本福音キリスト教会連合・キリスト教たんぽぽ教会 牧師 原 雅幸
「聖書とは?」という問いに「いくつもの書物が集まった小さな図書館のようなもの」という答えがある。それはそれで間違いではないが「図書館」というと、情報収集の基地というイメージが先立つ場合もあるし、書物の並びが半ば無視されて「こういう時には」式で、御言葉のつまみ読みばかりになってしまうこともある。
聖書は神のことばであり、聖霊によって単語の選択や語順に至るまで神に息吹かれたもの。ならば、聖書とはいくつもの文学芸術作品が収められた小さな(いや壮大な)「美術館」のようなものと考えたほうがよい。美術館であれば、基本的な順路というものがある。それを無視して行き来することもできるが、まずは順路に沿うことで見えてくるものがある。
この美術館は、二階建てである。一階のことを「旧約聖書」と呼ぶ。外から梯子をかけて二階の窓から侵入することは不可能ではないが、お勧めはできない。旧約聖書の長い回廊を抜け、階段をのぼって二階フロア「新約聖書」へと進むのが基本だ。というのは、二階フロアの作品を理解するための基本モチーフはすべて一階にあるからだ。二階の「新しさ」を味わうためには、一階をまず巡ることである。
入口を入ると、「モーセ」の刻印が押された五つの展示室(律法=トーラー)がその先に広がっている。そこにはさまざまな物語、詩、古代の法律が所狭しと並べられている。芸術作品だから、遠くから眺めてみたり、近寄ってみたり、味わい方はさまざまある。ただし、時間だけは欠かせない。美術館を早歩きで通り抜けたとしても、ほとんど何も得られない。
出版されている聖書に付けられている「何章」という区切り数字は、そこまで重要な意味をもっていないから、文学の流れがどこで区切られているかということに心を向け、文学形式が切り替わるところを見逃さないことが聖書読みのツボ。物語が詩によって中断されたり、系図のような情報が差し込まれたり、法律文が突然始まったりすることがあるが、それは大事な区切りを示してくれる。
美術品が並べられている順序に意味があるように、区切りや配列は、意図的なもので、何かのパターンが埋め込まれている。旧約聖書の書き手であるユダヤ人たちが好んで用いたのはシンメトリー(対称構造)で、二つの似たような物語の間に、異質なものを置くことはよく見られ、間に挟まれたものが重要であることが多い。
たとえば、出エジプト記の後半には、幕屋の設営についての指示と思われる記事がスペースを割いて記されるが、前半と後半に分かれて(なかば繰り返されて)いて、その間に置かれているのが「鋳物の子牛」事件である。そしてその顛末の中で極めて重要な神についての啓示(34章6、7節をご覧あれ。この啓示が聖書の中で何度繰り返されることか!)がある。そればかりでなく、この構造によって、幕屋のために民が「心を動かされた」(35章21節)理由も見えてくる。「鋳物の子牛」を造る罪によって神の民が滅んでもおかしくないところで、赦しが与えられ、民はいのちをつなぐ。そのことに「心を動かされ」幕屋は造られていく。
現代の読者には眠気しか誘わないことで有名なレビ記は、実に全体が大きなシンメトリーである。レビ記16章がこの展示室の中心であることだけ紹介しておこう。そして、この部屋の真上(新約)に、キリストの十字架が立っている。この部屋のシンメトリーに気づくなら、レビ記は愛読書に変わるはず。
トーラーを囲む回廊を抜けたら、預言者(ネビイーム)の世界へ。ここからは出版されている聖書の配列より、ユダヤ人の使っているヘブル語聖書の並びで進むのがお勧めだ。
ヘブル語聖書では、ヨシュア記、士師記、サムエル記(第一・第二)、列王記(第一・第二)がいわゆる「預言者の書」(イザヤとか、エレミヤとか)に先立って並べられ、「前預言者」と呼ばれる。これらは預言者の視点から記された歴史啓示なのだ。預言者というのは、すでに与えられている律法を、イスラエルの歴史という時空の中でいかに実行するかということに心砕いた人たちだということを覚えておくと役に立つだろう。
一階の一番奥には、聖文書(ケトビーム)という広大な展示室が並ぶ。一番大きな空間には、賛美があふれている。「詩篇」である。この祈りと賛美のドームに浸っていると時を忘れてしまう。他にも大小さまざまな部屋があるが、ネビイームには見当たらなかった歴史書(ルツ記、ネヘミヤ記、歴代誌など)がここに並ぶ。これらは「預言者ではない」ということをふまえて読む必要がある。
たとえば、ネヘミヤ記に記されている出来事、主人公とおぼしきネヘミヤの行動は、すべてが肯定されるわけではない。ケトビームの中の歴史書は、他の作品と同様に神を証しするものでありつつも、読者に問いかける作品が多いのである。いずれも完結した感じを与えない作品ばかり。ケトビームの部屋は、照明をあえて暗くしてある展示室が多いと言える。そうして、もやもやした気持ちを抱えながら、暗い階段を上るように促される。
そう、一階は暗く終わるのだが、二階には光があるのだ。
二階の階段を上がると、四つの入口が設えられた空間に出くわす。それが「福音書」である。ここで大事なことは、それぞれの部屋の展示品を、別の部屋の展示品と混ぜることをしないで、それぞれの部屋で味わうということ。並べられているのは「記録写真」ではないから、書き手によって色の付け方、それぞれの物語のサイズ感、並べ方は大きく異なる。これを時系列に並べ直し再構成などしたら、持ち味がぶち壊しになってしまう。
ちなみに、この四つの部屋のうち、ひとつだけ、細長く二部構成になっているものがある。「ルカの福音書」のことだ。これは「使徒の働き」とセットで編まれているので、できれば一気に読みたいところである。そうすることで見えてくるものがきっとある。
この先は、書簡群だが、そろそろ私の持ち時間(文字数)が切れそうなことと、ここまでくれば、驚くほどに目が肥えているだろうから、今回は割愛してしまおう。
最後に、ちょっと階段を上がったところにある「特別展示室」について紹介しておく。その名は「ヨハネの黙示録」。暗いような明るいような不思議な空間である。この部屋は二階の中でも一段高いところにある。この部屋からは未来が眺められるのだ。けれどもそれはクリアな望遠鏡ではなく、万華鏡のような世界。
そしてこの部屋の真下には、ダニエル書、エゼキエル書といった一階の展示室の中でもひときわ異彩を放つ「黙示文学」が置かれている。そんな部屋だから、見えるものもすごいが、大きな勘違いも起こりやすい。そうならないために大切なのは、ここに「未来新聞」のようなものは展示されていないことを肝に銘じること。それさえ忘れなければ、ここが聖書の集大成だと心震える体験が読者を待っている。
* *
このように、聖書を美術館を巡り歩くように読んでみる。これが私の勧める聖書の読み方だ。こうすると何が起こるだろうか。それはこの美術品たちに影響されて「私」が変えられる。情報を求める図書館では起こりにくいが、美術館では、入った時と出てきた時で、何かが変わる。
さらに言えば、一つ一つの展示品を味わっているそばに、作者が近寄ってくる。気づくと私の隣で、いっしょにその物語を読んでいる見えない方に出会う。この美術館は、今も生きておられる作者に出会える場所なのだ。そしてその方のまなざしの前に、私もまた「作品」の一人であることに気づいて、心躍るところなのである。
それから、ここには仲間と訪れる楽しさもある。人生の数だけ、聖書を味わう角度が生まれる。これを分かち合うこともまた、この美術館の楽しみ方である。「館内はお静かに!」でなくてもよいのだ。
なお、この美術館の入口には凄腕の学芸員(10~12頁参照)が並び立っている。お好みのガイドと共に巡るのも発見が多くてよい。ただし、ガイドの声ばかりを聴いて作品そのものから目を離さないよう気をつけよう。
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本書で取り上げられている難問聖句
一部抜粋
創世記
3:16 出産はのろいなのか、祝福なのか
4:17 カインはどこで妻を得たのか
7:19 大洪水は世界規模のものだったのか
11:1-9 バベルの塔の出来事以前は1つの言語しかなかったのか
32:23-33 ヤコブは誰と格闘したのか
出エジプト記
4:24-26 主はなぜモーセを殺そうとしたのか
14:21 葦の海に起きたのはどのようなことだったのか
21:2-11 神は奴隷制を認めているのか
33:18-23 モーセは神のうしろを見たのか
ヨシュア記
2:4-6 ラハブの嘘は正しいことだったのか
6:20 エリコの城壁は本当に崩れ落ちたのか
10:12-14 太陽が動かないとはどういうことか
士師記
5:24-27 殺人者が称賛されているのか
6:22-23 主の使いとは何か
6:36-40
ギデオンが神を試したのは正しいことだったのか
サムエル記 第1
15:18 聖絶するとはどういうことか
15:22 主はいけにえを喜ぶのか
15:29 神は心を変えることがないのか
16:1-3 神は偽りをよしとするのか
16:14 主からのわざわいの霊とは何か
列王記 第1
11:1-2 ソロモンはなぜ多くの異国の妻をめとったのか
歴代誌 第1
2:13-15 エッサイの息子は7人か8人か
6:16、22-23、25-26
サムエルはレビ人かエフライム人か
22:14 金と銀の量が多すぎるのではないか
エステル記
8:11 虐殺は認められているのか
ヨブ記
1:6-12 サタンは天にいるのか
2:1-6 神は人をサタンの手に任せるのか
13:15 ヨブは神に反抗しているのか、信頼しているのか
40:15、41:1
神話上の生き物か、実在する動物か
詩篇
44:23-26 神は眠るのか
51:16-17、19 神はいけにえを望むのか
73:2-12 悪しき者は栄えるのか
伝道者の書
1:1 伝道者はソロモンなのか
12:13-14 伝道者は何を教えているのか
イザヤ書
7:14 処女が身ごもるとはどういうことか
45:7 神はわざわいをもたらすお方なのか
65:20 新しい地において死は存在するのか
エゼキエル書
20:25 神が良くない掟を与えるとはどういうことか
21:4 なぜ正しい者が悪い者と区別されることなくさばかれるのか
?続きは本書でお楽しみください!
◆内容一覧
総 論
1 誰が聖書を書いたのかがなぜわかるのか。
2 聖書に記された奇跡は本当に起こったのか。
3 旧約聖書の神は怒りの神、新約聖書の神は愛の神なのか。
4 聖書に記された系図の年数はなぜ合わないのか。
5 聖書に記された数字には間違いが多いのではないか。
6 旧約聖書に記された年代は正しいのか。
7 聖書に記された歴史に考古学的な裏づけはあるのか。
8 預言者の言う「主のことばが私にあった」とはどういうことか。
9 旧約聖書の預言は正確なのか。
10 新約聖書で引用された旧約聖書のことばはなぜ元のことばと違うのか。
11 新約聖書に記された悪霊の話は事実なのか。
12 なぜ四つの福音書があるのか。