京都のすみっこの 小さなキリスト教書店にて 第九回 幸せのかけら

CLCからしだね書店店長 坂岡恵
略歴
社会福祉法人ミッションからしだね、就労継続支援A・B型事業所からしだねワークス施設長。精神保健福祉士。社会福祉士。介護福祉士。2021年より、CLCからしだね書店店長。

 

CLCからしだね書店は、障がいのある人たちに働く場を提供する社会福祉事業でもあります。そして、社会福祉とは「人の幸福な暮らし、生き方を、社会として実現させること」だと言えます。では「幸福な暮らし、幸福な生き方」とは、いったいどういうことを意味するのでしょうか?

精神・知的・身体障害と難病を併せ持つA君は、外国籍のお母さんと二人暮らしでした。日本人のお父さんは行方が知れず、外国人パブで働くお母さんは、A君との会話を母国語と簡単な英語だけで行っていたため、A君は日本語をほとんど理解することができません。お母さん自身も、日本の文化や習慣、法律や制度を理解できずに周囲と摩擦を起こし、孤立しています。
A君には強度の行動障害もあります。急に道路に飛び出し、素手で窓ガラスを壊し、壁に穴を開け、人を突き飛ばします。彼は誰からも理解されず、誰のことも理解できず、そのもどかしさや怒りを上手に表現することもできず、暴れて周囲を困らせることで、「ぼくはここにいるよ、ぼくのことを見て!」と訴えているかのようでした。
体の成長とともに、A君はだんだんお母さんの手に負えなくなってきました。それで、福祉や医療、学校、児童相談所、みんなでA君の次の「家」を探したのですが、なかなか見つかりません。やっとのことで受け入れてくれる施設が見つかったものの、A君の行動障害が想像以上に激しくて、すぐにギブアップ。生まれ持った障がいの重さに加えて、A君が幼少期に適切な教育やケアを受けられなかったことが、A君から今まで暮らしてきた「家」を奪い、これから暮らす「家」を奪いました。A君は、精神科の閉鎖病棟や短期の入所施設を転々としている間に病気が悪化し、今は寝たきりの状態で入院しています。彼の唯一の自己表現だった暴れることも、できなくなってしまいました。
私は絶望的な気持ちになり、神様に問いかけました。「A君の人生って、なんですか? A君の幸せって、なんですか? A君は、なんのために生まれてきたのですか?」
それから、ふと我に返ります。A君の人生や幸せの基準を、A君を押しのけて勝手に憶測している自分自身の不遜さと思いあがりに、愕然とします。現実のむごさを、神の愛のどこにどうあてはめればよいのか、わだかまりのような疑問だけが残ります。
日本の社会福祉制度の不備、行政・福祉・教育関係者の至らなさ、父親の無責任さと母親の育て方、どれも世間から責められることばかりだと言えるでしょう。そして、至らなさを指摘され、責められるべき多くの人たちの中にまぎれこむようにして、私がいます。A君の置かれた状況に、まるで瞬間湯沸かし器のように怒っていたくせに、日常の忙しさの中で、私はA君のことを忘れていることが多いのです。社会のすみのほうで、もう間もなくひっそりと死んでいくであろうA君と、もうA君の家を探さなくてもよくなったことに、少し安堵している私。それが私の本質なのです。
そんな時、どこかのコンサルタント会社から派手なダイレクトメールが届きます。「集客率、稼働率一〇〇%可能な、障害者グループホームのノウハウ教えます。障害者の自己実現を支援するやりがいのある福祉事業です。初めての方でも安定した収益の実現が可能!」
そこでまたA君のことを思い出します。同じチラシをのぞき込んでいた福祉関係者に「“客”なんて言葉を使うの、変ですよね」ともらしたところ、「まあ、利用者が主体なんだから、“お客様”という視点も必要ですよ」と、教科書の中から切り取ったような言葉と優しい笑顔で、その人は私の認識不足を指摘しました。「そのお客様の中に、A君はいるんかい!」と、心のなかであまり上品ではない関西弁を吐き、共感してもらえると思ってしまった自分の甘さを後悔します。
私のやっている仕事は、見つからない答えを求め、怒って、うろたえて、がっかりして、恥じ入って、自分がいかに限界のある小さい人間であるかを知るための修行のようです。だから、誰のためでもない、私自身のために、私は福祉の仕事に留まっています。
A君のお母さんは、毎日、A君のために祈っているそうです。A君が幼いころに、一度だけ訪ねたお母さんの国。楽しかった思い出。A君をそこに連れて帰りたい、その願いは、おそらくもうかなえられることはありません。でもその祈りの中に、A君の幸せのかけらが見えるような気がして、私は少し救われた気持ちになります。