349 時代を見る眼 関東大震災から100年〔1〕関東大震災と教会
ピアニスト
崔善愛
1923年9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9の大地震が関東を襲った。死者・行方不明者10万5千人。うち約9割が焼死。この死者・行方不明者の中に、流言によって殺された朝鮮人は入っているのかいないのか。なぜ人々は大惨事の中、朝鮮人を殺すことができたのか。私は毎年9月1日が来るたびに、「なぜ」という問いを繰り返す。あれから100年。朝鮮人虐殺の国家責任はいまだ問われていない。
私の父・崔昌華牧師は1930年朝鮮半島で生まれ24歳の時に来日。神戸改革派神学校を卒業後、宝塚伝道所を経て、1960年、北九州市にある在日大韓キリスト教小倉教会に赴任した。この小倉教会の創立70周年記念誌には、このような記載がある。
「1923年9月1日、関東大震災発生。朝鮮人約6,000人虐殺。九州地域、福岡・八幡・小倉の伝道が始まる。」
教会の伝道の始まりと関東大震災の朝鮮人虐殺とが関わっていた。当時、九州にも関東一円での朝鮮人虐殺のことが伝わり、日本に住む朝鮮人らを震撼させた。朝鮮人とわかれば日本人に殺害される恐怖心から、安全で避難できる場を求めた在日朝鮮人らは、同胞が集まる「教会」は安全だと、教会に逃げ込むようになったのだ。
震災の3年半前、1919年2月8日、東京・御茶ノ水にある「東京朝鮮YMCA」(現・在日本韓国YMCA)で、朝鮮からの留学生らが「独立宣言」を読み上げた。この時の主なメンバーは逮捕されるが、この「独立宣言」の文面は朝鮮半島に渡り、1か月経たない3月1日、ソウルのパゴタ公園で、33名の民族代表が独立を宣言。33名のうち16名がキリスト者だった。
この宣言を受け、「大韓独立万歳」と叫ぶ民衆が、3月から4月にかけて朝鮮全土で1200回を超えるデモを行い、200万人が参加したと記録されている。この「独立を叫ぶ朝鮮人」に対して朝鮮総督府は、日本の植民地支配に抵抗する朝鮮人は殺してもかまわない、という姿勢をとる。そして、植民地支配を遂行する過程で、独立を求める朝鮮人らの逮捕、収監、虐殺を繰り返した。このような土壌のもとで、関東大震災時の朝鮮人虐殺が行われた。他国への侵略は虐殺を伴わなければ遂行できなかったからである。
やがて神社参拝に抵抗した朝鮮半島の教会が弾圧され、キリスト教学校が閉校に追い込まれる。
父はよくこう言っていた。「当時、教会に牧師も長老もいなかった。みな投獄されていたからだ。」