特集 東日本大震災後の訪問を思い出して ともに私たちの悲しみ、苦しみに涙し
仙台聖書バプテスト教会 牧師 鈴木 茂
東日本大震災後、出来事の深刻さに困惑し、精神的にも疲労困憊していた私たちに、神は思いがけない数々の励ましを与えてくださいました。その中でも、フィリップ・ヤンシー氏と妻のジャネットさんが被災地を二度も訪ねてくださったことは、言葉では言い尽くせない喜びでした。仙台聖書バプテスト教会で開催された講演会にはあふれんばかりの人々が集まってくださいました。
私自身、ヤンシー氏が執筆された本を以前から読んでいたこともあり、ヤンシー氏との交わりを心待ちにしていました。初対面で多少の緊張感はありましたが、お二人の温かい笑顔によって緊張も解け、会話もスムーズに流れました。講演会の前に数人の兄弟姉妹を交えて食事をともにした時にも、ヤンシー氏ご夫妻の私たちに対する敬意と関心を、私は深く感じました。
クリスチャンであっても人間として当然抱く疑問や痛みやすい感情に、ヤンシー氏は寄り添ってくださいます。私はそれを、ヤンシー氏の本を読んだ時に経験していました。上から語ることなく、ともに疑問を抱き、悩み、悲しみ、苦しみに対して簡単で短絡的な答えを出すこともありません。苦しみや悲しみの現実を大切にして、そしてこのような現実に静かに近づいてこられます。
夕食の交わりを通して、ご夫妻が、私たちの痛んだ気持ちに寄り添ってくださっていることに気づき、私たちは慰められました。まさに苦しみのただ中に受肉してくださった救い主であるイエス・キリストを感じさせられる交わりでもありました。
特に、津波によって教会が完全に流され、すべてを失った牧師夫婦の話を静かに傾聴されていたご夫妻の表情を、今でも忘れることができません。沈黙の中に、ともに痛み、涙するキリストの心が満ちている、と感じたことを思い出します。
ヤンシー氏の二度の講演会を通して印象づけられたことは、神がインマヌエル、すなわち、ともにおられる方である、ということでした。言い換えると、憐みの神は、私たちのすべての現実のただ中で、ともに苦しんでくださる方であるということです。神は、私たちの悲しみ、苦しみ、失望に敢えて選んで近づいてくださる方である、という事実が私の魂の深みに刻み込まれました。
氏は、この震災が神の裁きであるとか、私たちは悔い改めなければならない、ということはおっしゃいませんでした。あくまでも神は私たちの悲しみや苦しみの中でともに涙してくださるお方であり、そして私たちを、希望を見出すことができない混沌とした現実から、憐みによって少しずつ引き上げ、贖ってくださる方であることを印象づけてくださいました。「深く傷ついたときほど、急速に引き上げられるのではなく、ゆっくりと引き上げられ、回復する必要がある」と、氏は語られました。不思議な安心と希望を感じさせられました。
被災地の一つである閖上に視察に行ったときのこと、その時はまだ津波の傷痕が至るところに生々しく残っていました。特に津波に襲われ数十人の子どもたちが亡くなった場所には、泥の付いたランドセルが残っていました。今でも思い出すあの深い静寂、ヤンシー氏ご夫妻の目に浮かぶ涙を今でも思い出します。被災地において、私はお二人から多くの言葉を聴くことはありませんでした。ヤンシー氏とジャネットさんの目の涙に、憐みをもって、ともに痛み悲しむ主の無言のメッセージを聞いたように思います。
神とともに、被災の悲しみの中にあった私たちとともに涙してくださったヤンシー氏とジャネットさんにあらためて感謝します。
仙台で講演の様子(右・鈴木氏)。2012年3月
シーサイドバイブルチャペル(仙台市)の跡地に
立つ十字架を見上げるヤンシー氏夫妻