350 時代を見る眼 関東大震災から100年〔2〕虐殺を目撃した倉持芳雄牧師
ピアニスト
崔善愛(ちぇ そんえ)
父・崔昌華牧師(1930~95年)が関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺の史実を知ったのは、ある日本人牧師との出会いからだった。その人は横浜市にある日本基督教団・清水ヶ丘教会初代主任牧師・倉持芳雄(1915~90年)氏だ。1923年9月、倉持牧師は生まれ育った東京の下町・月島で朝鮮人虐殺を目撃した。8歳の時だった。
今年8月5日、私は清水ヶ丘教会で牧師のご子息・倉持和雄さんにお会いした。和雄さんは、当時の目撃証言をいまも語り継いでおられた。その証言の一部をここに引用させていただく。
「父は関東大震災に遭遇し、そこで朝鮮人たちが捕らえられていく様子を目撃した。その中に、手を針金で縛られ、土管の中に押し込まれた白衣(チマチョゴリ)を着た白髪のハルモニがいて、父をじっと見つめて微笑んだという。成人して牧師になるために神学校で学んでいた父は、なぜか、このおばあさんの夢を度々見るようになった。そして、その夢を『朝鮮人へ伝道しなさい』との神の召命と受け止めた。……父の初任地は川崎浜町にある『朝鮮人教会』となった。浜町の近くには日本鋼管があって、当時多数の朝鮮人労働者がこの地域に居住していた。」
私の父は、倉持牧師から以上のような話を直接聞き、強い衝撃を受けた。そして1975年から毎年9月1日、東京の中心部で「関東大震災・朝鮮人虐殺を覚える集会―9・1集会」を開催した。この集会は、朝鮮人虐殺の研究者らの講演だけでなく、在日コリアンの人権獲得闘争の拠点ともなった。
今年、発生から100年目となる関東大震災の朝鮮人虐殺。この事件の証言を集め、検証を粘り強く続けた市民団体や研究者らの集会が全国各地で行われ、各メディアもこれまでにない規模で特集を組んだ。しかし、日本政府も東京都知事も「我、関せず」の姿勢を貫いている。8月30日の記者会見で松野博一官房長官は「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらない」と強調した。
流言飛語は、まるで自然発生したデマのような印象を与えるがそれは違う。
1923年9月3日、内務省は全国各地に以下の電文を流す。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞な目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし。」
当時の警察の調べでは、朝鮮人の放火が証明された事実はない。デマを誘導し、虐殺を誘発したのは政府だった。