書評books 異教文化の中に潜む惑わされやすい弱さへの警告
みらい平キリスト教会 牧師 斎藤 潔
『女が教えてはいけないのか 第一テモテ2章11〜15節を世紀の光で読み直す』
リチャード/キャサリン・C・クレーガー 共著
稲垣緋紗子 訳
四六判
定価2,420円(税込)
いのちのことば社
著者の周りで何人もの女性が、教会や社会で、指導的な立場で働きたいと志しながら、「女が教えたり男を支配したりすること」は許さないとする第一テモテ二章一二節を根拠に道を閉ざされてきた。しかし、聖書には、指導的立場で主に仕えた女性たちがいる。デボラ、フルダ、プリスキラ、フィべ等。聖書を神のことばと信じる者には見逃せない矛盾だ。著者は納得のいく解決を徹底的に探究した。
著者は「言語的、歴史的、考古学的証拠を考慮に入れたうえで、第一テモテ二章一一〜一五節の新しい解釈を説明しようと」する。まるで冤罪を晴らすべく粘り強く丹念に証拠集めをする弁護士のように、著者は膨大な作業を厭わず、真相の究明に取り組み、第一テモテ二章一二節に「私は、女性が、自分自身を男性の創始者だと教えたり、断言したりすることを許しません」という解釈を提唱する。そうすれば一三、一四節のアダムとエバへの言及がつながってくる。この一見突拍子もなく、にわかに受け入れ難い解釈は、アウセンテインという新約聖書でここにしか出てこないギリシア語の訳し方による。この語とその同族語は古代世界で多義に使われており、当時の文化的宗教的な背景、特にこの手紙が宛てられたテモテのいるエペソのアルテミス女神崇拝や、当時教会の中に影響を及ぼし始めていたグノーシス派の教説との関連を考慮して語義を定めることになる。大変な作業をやり抜いた信仰の熱心と誠実に敬意を表したい。また翻訳者のご苦労も如何ばかりかと思う。
この書を通して、エペソでの牧会を委ねられたテモテの置かれていた霊的状況の厳しさを知ると、この手紙の勧めや命令が特別な意味合いで語られていることに気づかされ、より緊迫感をもって響いてくる。また、当時の文化的宗教的状況の中で育ったエペソのキリスト者の中に、聖書的でないものが居座っていたり、まことしやかに語られる巧みな「作り話」に惑わされやすい弱さが潜んでいたのであれば、同じような弱さは、異教文化が生活の深いところにまで浸透しているこの日本に育った私たちのうちにもあるのかもしれないと思わされる。