新連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆心中 第一回 コロナに負けてたまるか

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

初めてコロナクラスターが出た。二〇二一年一月。スタッフ五名、入居者様七名。
「ご入居者様の状態はどう?」シャロームの副会長のおせいさんが施設長に電話した。シャロームとは、堺市にある住宅型の有料老人ホームだ。
「皆様の熱が高いんです。認知症の方は、廊下をお歩きになられて、だれかれなしのお部屋にお入りになられるのを何とかしないと、感染が止められないです。」
感染をストップしなければ。おせいさんは生きた心地がしない。スタッフに感染が広がると、ご入居者様のお世話ができなくなる。
それから一か月、スタッフたちは不眠不休の戦いだ。
ドアを叩く音。ドアが壊れそうだ。九十七歳のあやめさんが叩いている。フィリピン人の若いスタッフが認知症筋金入りのあやめさんに、泣き声で頼んだ。
「あやめさん、ごめんなさいね。お部屋から出ると怖い病気になるんです。お部屋にいてくださいね。」
「そんなもん、ぶっ殺してやる。どこにいとるんじゃ。」
部屋に帰すが、すぐに出てくる。あやめさんに関わっていては、夜が明ける。部屋の外を歩き回るのは止められない。スタッフは泣きたい気分だ。
施設の総司令塔の青木がコロナに感染した。ホテルに隔離された。高熱を抱えて、施設に指令を出し続けた。
「一階に陽性者の方を隔離しよう。入院させてもらえる人は一刻も早く入院の手配をしてください。」
入居者様で罹患した人は皆、高熱だ。歩き回る元気のある人はあかねさんだけ。
食事はすべて使い捨て容器だ。防護のためのエプロン、手袋、マスク、キャップなども潤沢に準備していたから、スタッフたちは遠慮なく安心してケアに入り、バンバン使い捨てた。段取りの良さが身に染みた。
保健所もてんやわんやなのに、入院の手配をしてくれた。お互い頑張りましょうという気持ちで、保健所の係の方々とスタッフたちは励まし合った。
どこもかしこも日本中がコロナから命を守るために、頑張った。心合わせて、汗をかき、一心不乱に戦った。戦争を知らない世代にとっては、貴重な体験だろう。
スタッフの感染が止まらなかった。困ったのは夜勤者の感染だ。日勤帯は他の施設のスタッフの応援でしのげたが、夜勤者はそういうわけにはいかない。施設の入居者様のすべてを把握したスタッフでなければ、任せられない。
リハビリの機能訓練士の一人が、エリアマネージャーだった。彼が夜勤の勤務をした。ホテル住まい三週間だ。
「家族と会えないのが、こたえますが、しかし、こんな日はいつか終わる。ご入居者の命を守り、笑い話ができるように、乗り越えてみせるぞ。」力強い、嬉しい言葉だ。
「病院まで施設から連れてきていただけるなら、入院はできます。」病院からの有難い言葉だ。
末期胃がんの節子さんが感染した。高熱、酸素飽和度が低い。施設医が入院を勧めた。こちらから、四十分かかる病院に運ぶ。車に乗り込むスタッフ二人を確保しなければ。それも感染して休んでも現場が困らないスタッフでないと。
スタッフたちは防護服、マスク、ビニール手袋、全て二枚重ねだ。車の窓を全開にして、寒風の吹きさらしの中、病院へと走った。病院についても、すぐに中には入れてもらえなかった。窓全開の車の中でずいぶん待たされた。
「寒いでしょう。すみません。」スタッフが言った。
「いいや。戦争の時もみんなで頑張った。あんたたちこそ年寄りを守ってくれて、ありがとうだよ。」スタッフは、その言葉に胸が温かくなった。
コロナに負けてたまるか。全スタッフの思いだ。
病院搬送したスタッフは感染しなかった。最初はびくびくだった。それから何回かコロナ罹患者を病院へお連れするうちに、入居者様と笑いまくりながら車は疾走した。
ご入居者様にへっぱりついてケアをしていたナース三人と施設長は、最後の最後まで感染しなかった。神の助けだ。
施設長は朝早くから出勤した。〈コロナの終わりは来るのか〉と施設長の心は不安に押しつぶされそうだ。
「おはようさん。おそいがな。わてはあんたを待ってたんや。お腹すいた。」明るい声ではっとした。誰もいないと思っていた事務所。あやめさんだ。その声で施設長は涙が出た。泣いてる場合ではない。施設長の心は奮い立った。
節子さんは、コロナが引き金となって、死を早めた。
一か月後、ご入居者様、全スタッフの陰性結果が届いた。
スタッフとご入居者様は戦友だった。あやめさんが廊下を闊歩している。