書評books 聖書信仰という既成概念へのチャレンジ
日本ホーリネス教団・旗の台/元住吉教会 牧師 上中 栄
『教会と疫病 パンデミック下で問われたこと』
信州夏期宣教講座 編
野寺博文・金道均・星出卓也 著
A5判・142頁
定価1,210円(税込)
いのちのことば社
コロナ・パンデミックが教会に突き付けた諸課題は、これからも教会が向き合い続けるべきものであろう。コロナ禍は収束傾向にあるとは言え、そうした取り組みを促す意味では、本書の出版は時宜を得ている。何事も、喉元を過ぎれば、関心ばかりでなく問題意識も薄れるが、本書を通じて、日本の教会の思索が深まることを期待したい。
本書は、二〇二二年の「信州夏期宣教講座」の内容である。コロナ禍のみでなく、人類史で繰り返されてきた「疫病」と教会の関係をテーマとし、歴史、神学(神義論)、聖書(黙示録)という三つの異なる視点から論じている。
野寺博文氏は、パンデミックの諸側面を歴史上の出来事から丹念に紹介する。多様性が尊重されつつも画一性になびきやすい今日、私たち自身の視点を考えさせる。
金道均氏は、「神義論」を多角的に紹介する。神がいるならなぜ悪や災禍が存在するか、という古くからの問いは、活動を制約されたコロナ下の教会のリアリティに通じる。
星出卓也氏は、ヨハネの黙示録第六章を中心に、解かれた封印について説く。そこに含まれる「疫病」などの困難を乗り越えられるとの、神の励ましを読み取る。
いずれも、講演者の学びの蓄積を感じさせる上、示唆に富む。聖書信仰という既成概念へのすり寄りは、信仰者の主体性を奪いかねない、という問題意識を持っていた評者にとって、考えさせられることが多かった。
たとえば、歴史上の災禍に「恵み」という側面があったとの指摘は、悲観的な者への励ましになる。一方、災禍を含むすべては神の許しの下に起きるという、究極の答えを「恵み」だと理解すると、現状認識が緊張感を欠くことにつながらないか。また、神義論には、「神に代わって言い訳をする」要素が付きまとう。それはやがて自分自身の言い訳や、自己正当化につながり得るのではないか等々。
私たちがコロナ禍で学んだことを忘れず活かすために、本書をアグレッシブ(?)に読むことをお薦めしたい。