354 時代を見る眼 「自分と違うもの」を受け入れる教会〔3〕 ゴールを目指して

キリスト者学生会(KGK) 副総主事
塚本良樹

 

ヨハネの黙示録には、あらゆる「国民、部族、民族、言語」、つまり多様なキリスト者たちが、ともに父なる神と子なるイエス・キリストを賛美する姿が描かれています(黙示録7章9、10節)。終わりの日、そこには「自分と違うもの」の存在による「不快さ」は、もはやありません。私たちは、多様なままで喜びの叫びをあげ、ともに主を賛美するのです。
それはゴールです。ゴールだということは、そこに到達するまで完成はしないのです。それまでの間は、うまくいかないことはあるのです。海外にルーツをもつ方々が教会に来られるとき、異なる言語、文化、神学、礼拝スタイルの方と交わりをもつとき、若い世代に合わせてこれまで慣れ親しんだやり方を変えようとするとき、私たちは「不快さ」を覚えることがあります。
それは喜ばしいことに思えないかもしれませんが、その「不快さ」は使徒たちも味わったものであり、初代教会でもそうであったように、聖霊が働かれている証拠なのです。ゴールに向かって、聖霊が働かれ、教会を多様にしてくださっているからこそ、教会を変革してくださっているからこそ、私たちは「不快さ」を覚えるのです。
大切なことは、その「不快さ」から逃げないことです。逃げずに、そこに留まり、知恵と愛が与えられることを祈り求めつつ、「自分と違うもの」を受け入れる努力をすることです。教会は、そうやって成熟し、拡大してきたのです。
もう一つ、覚えておかなければならないのは、そのゴールは人間の力ではなく、神の力によって実現するということです。私たちの努力は用いられますが、私たちの力でできることではないのです。本当の意味で「自分と違うもの」を受け入れられるようになるには、終わりの日を待たなければならないのです。
だからこそ、いきなり無理をする必要はありません。いきなり無理をすると、それはそれで無用な対立を大きくしてしまう危険もあります。大切なことは、大きく祈って、小さく始めることです。ゴールにおいて神がなしてくださることに安心しながら、私たちができる最善を尽くしたいのです。
聖霊なる神の働きに期待しつつ、「自分と違うもの」とともに歩むために、その「不快さ」を引き受け、教会が成熟し、拡大していくために、あなたにできる第一歩は何でしょうか。あなたはどのように変わる必要があるでしょうか。