特集 エコチャレンジ キリスト教大学教育の現場から
東京基督教大学 教授 岩田三枝子
勤務先の東京基督教大学(TCU)で担当する「キリスト教倫理」では、テーマの一つとして環境倫理を取り上げます。楽しみつつ、悩みつつ、学生たちとこのテーマに取り組んできました。その授業の様子を紹介します。
キリスト教の視点から考える環境倫理に関する講義の後、最後の仕上げは学生たち自身による発表です。「TCUエコチャレンジ・プロジェクト」と名付けて、次のように呼びかけ、環境を考える行動に取り組んでもらいます。
「神様が創造された世界は、『非常に良い』(創世1・31)と呼ばれる、すばらしい世界でした。この世界の所有者は、創造主である神様です(詩篇24・1、2)。神様は、その素晴らしい世界の管理を、人間に託されました(創世1・26)。神様にこの世界の管理を託されている一人として、何かを始めてみることは、できるでしょうか? レッツ、TCUエコチャレンジ・プロジェクト!」
そして次のように課題を課します。
〈取り組み期間〉 学期期間中
〈内容〉自由でクリエイティブなアイ
ディア大歓迎。一人で着実に取り組むもよし、家族を巻き込んで取り組むもよし、または仲間と一緒に協働で行う取り組みもよし。
○ プロジェクト報告会
〈時間〉各自十分程度
発表形式は自由。活動内容、日時、方法、結果などを報告する。
二〜三か月の短い学期の間ですが、「神様が創造された世界に配慮した生き方」をそれぞれに実践してもらい、その内容を授業の最終回で発表してもらいます。ここ数年の取り組みの中から、いくつかをご紹介します。
ビーガン料理作り
ビーガンとは、動物性の食品を避ける菜食主義の人を指します。カレーをはじめ、美味しそうな食事のレシピに挑戦してくれました。
天然素材の「へな」で髪染め
実際に自分の髪の毛を使ってヘアカラーチェンジ。授業の課題遂行とおしゃれの一石二鳥。
木を植えるプロジェクトに参加するネット検索機能を利用
検索の数だけ世界中に木を植えることができます。学生の発表でそのような検索エンジンを知り、私も自分のパソコンや携帯ではエコ活動検索エンジンを使うことにしました。
プラスティックを使わない生活
取り組んだ一週間は、コンビニにマイバックを持っていくのはもちろんのこと、お惣菜を購入した際の「セロハンテープ」も断る徹底ぶりだったそう。
生ごみで肥料を作り、畑に還元
学生自身のご家族が所有されている畑の肥料にする本格的取り組み。家族と協力しあい、絆も深まれば、さらに嬉しいですね。
燃費の良い車の走行法を実験するため、エアコン温度設定を変えて一定距離走り、ガソリン消費量を調査
この実験のためにはガソリンを使用しなければならず、環境に配慮しているのか配慮になっていないのか、微妙な取り組み!?
大学周辺のゴミ拾い
日課のジョギングを兼ねて、ゴミ拾いをしてくれました。日常生活の中に取り入れられる取り組みがいいですね。
大学内の竹林の竹を用いた料理と竹細工
春になるとキャンパス内の一角にニョキニョキと大量に生えてくる筍をいかに管理するかは毎年キャンパス管理担当職員の悩み。竹を使用することで、キャンパス内の竹林も整備され、学生のお腹も満たされる、とキャンパスにとっても学生にとってもWinWinの取り組みになったでしょうか。
学園祭や寮で出たペットボトルを集めて洗って、リサイクルセンターに持っていく
二人の学生が、大量のペットボトルの入った袋をサンタクロースのように担いでリサイクルセンターまで持って行ってくれました。
廃棄される玉ねぎの皮やコーヒーかすなどを利用して草木染
自然な優しい色合いに染められた、おしゃれなバッグが誕生しました。
信仰者ではなくても、右のような取り組みは可能です。しかし、「なぜ環境に配慮した行動をするのか」というこの授業での動機や理由は、キリスト者ならではの視点です。
「ケープタウン決意表明」の「私たちは神の世界を愛する」の項目では、創造世界に対するこれまでの人間の行動への悔い改めとともに、良き管理者としての具体的な行動へと読む者を促しています。
「私たちは神の世界に対する深い関心を神と共有し、神が創られたすべてのものを愛し、神の被造物全体にわたる神の摂理と正義を喜び、すべての被造物とすべての国々に良い知らせを宣べ伝え、水が海をおおうように、神の栄光の知識が地を満たす日が来るのを待ち望む」
「この世界の問題」と「自分の信仰」が切り離されてしまわないように、授業では「なぜキリスト者として関わるのか」を繰り返し学生と確認しています。それは、神が創造された世界を愛することは、神を愛することにつながるからです。
環境に配慮した生き方・生活は、お金も手間もかかる「ちょっと面倒なこと」が多くあります。この授業でのプロジェクトの役割は、その「ちょっと面倒なこと」を行動に移す後押しをすることだと思っています。取り組んで授業で結果報告を発表しないことには、学生は成績評価はもらえないのですから。