連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第7回 死の荘厳

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

おせいさんが國世さんと初めて会ったのは三年前。シャロームの有料老人ホーム「晴れる家」に入居された日だ。
國世さん八十五歳だった。色白の美人だ。美しい笑顔であいさつをしてくれた。國世さんの笑顔には、人を引き付ける輝きがあった。
ご主人はすでに召されていた。國世さんは独居で頑張っていた。しかし、パーキンソン病を発症して、一人で在宅は無理になった。
彼女はいつも聖書を読んでいた。聖書のどのページにもびっしりと書き込みがあった。
物静かな表情の中に明るい光をまとっていた。
おせいさんは、そんな國世さんに憧れた。
信仰の話を盛りだくさんにしゃべるわりには、外から見ても何も素晴らしいものが出てこない人がいる。そんな人の話はうんざりだ。國世さんはそんな人とは真逆であった。
入居されて少しの間は、施設の礼拝に出ていたが、それも取り去られた。ほとんどベッド上での生活だった。チャプレンは部屋を訪ね、礼拝のメッセージを届けた。
二人で分かち合いをして、お祈りをした。國世さんにとって嬉しい時だったことだろう。
来る日も来る日も同じような時の流れの日々だ。長く話すこともままならなかった。
スタッフの介助には、かならず「ありがとう」と輝いた微笑みが添えられた。
日本語をまだまだ自由には使いこなせないフィリピン人のスタッフは、國世さんの優しさに助けられていた。たどたどしい日本語に、國世さんは深くうなずいていた。そのうなずきはフィリピン人スタッフに、遠く離れているお母さんを思い出させた。
國世さんは、体も自由にはならず、食も細っていった。
そんな中で、彼女は起きている時は聖書を読んでいた。
静かに時が流れていった。今年の冬、この世の命の閉じる日が迫ってきた。
「國世さんの教会の牧師先生に来ていただいて、最後の礼拝をしますか?」とガーデン長が尋ねた。
「感謝です。自分のこれから行くところはイエス様のおられるところで、夫もいるところです。この世の感謝を神様とお世話になった人にお伝えして、お別れできたら、素晴らしい備えの時です」
八十八歳。天国の希望を抱いて、復活の信仰を持っている、輝いた時間だ。
狭い部屋で、牧師先生ご夫妻、特に親しかった教会の信徒さん三人と、この地上での最後の礼拝をされた。
晴れる家では、たくさんの方々のお看取りをさせていただいたが、ご本人に最期を伝えたのは國世さんが初めてだ。
おせいさんが最後の訪室をした。國世さんはもう点滴も外していた。目は開いていた。話すことはできなかった。まだ血圧も安定していた。彼女のそばで、詩篇を朗読した。
國世さんは、ほんの少し微笑んだ。澄んだ瞳だった。
聖書に一枚のハガキが挟んであった。大事な方のハガキなんだろうと思った。この方は國世さんの今を知っているのか? ハガキは何十年も昔のものだった。
この方に國世さんは会いたいのではと思い、八方手を尽くした。お祈りのおかげで、ハガキの主の居所が分かった。
國世さんが召される前に、この方との再会がかなうようにと祈った。
召される前日に、その友は施設に来られた。ご高齢だったから、ご家族が一緒に付き添っておられた。
「私をよく探してくださいました。ありがとうございます。こんな素晴らしい時に國世さんとお別れができるなんて、神様の恵みです」
何度もおせいさんにお礼を言われた。あのハガキが自分の目に触れたことを、おせいさんは感謝した。
國世さんは目をぱっちりと開いて、会いたかったであろう友を、まばたきもせず見ていた。
二人は手を取り合って泣いた。間に合って良かった。おせいさんは深く神様に感謝した。
人が死を目前にして、こんな美しい穏やかな時を過ごせるなんて。神様とともに歩む死の荘厳さを味わった。ガーデン長の奏でるギターに合わせて、賛美歌が廊下に響いた。
國世さんは次の日の早朝に召された。
施設から出棺だ。施設の玄関でガーデン長がギターを弾いた。チャプレンがお祈りをして、お見送りをした。スタッフとご入居者様と一緒に。
國世さんは、優しさと強さと神様を信じて生きる希望をスタッフに残してくれた。