いのちのそばに ~病院の子どもたちと過ごす日々~  第3回 “いのち”を抱く

久保のどか
広島県瀬戸内の「のどか」な島で育ち、大学時代に神さまと出会う。卒業後、ニュージーランドにて神学と伝道を学ぶ。2006年より淀川キリスト教病院チャプレン室で、2020年より同病院医事部で、小児病棟、こどもホスピス、NICU病棟において子どもたちのパストラルケアに携わり、現在に至る。

 

ある日の夕方、NICU病棟でお父さんがとても大切そうに赤ちゃんを抱っこしておられるのを見かけました。「お父さん、おめでとうございます」と声をかけました。すると、その方は笑顔で、「ありがとうございます。やっと会えました」とおっしゃいました。この赤ちゃんの誕生をお父さん、お母さんは数か月間待ち望んでおられたのだと実感しました。いのちの誕生を迎えるというのは、とても大きな出来事です。それは、待ち望んでいた以上の喜びとなることもあります。しかし時として、思い描いていたのとは違う時期に、望んでいたのとは違う状況でいのちを迎えることがあります。ご家族はいのちの誕生を様々な思いで待ち、迎えるのだと感じています。
私はある赤ちゃんとの出会いを通して、「待ち望む」ことを体験しました。Aちゃんは予定よりも早く、とても小さく誕生しました。生まれてから数か月間、保育器の中で過ごしていた小さな身体には様々な管が装着されていました。保育器の中でAちゃんが寝ている姿や、足を動かしてモゾモゾと動いている様子を見ながら、私は「Aちゃん、がんばってくれてありがとう。神さま、Aちゃんを支えてください」と小さな声で話しかけました。毎日のように会いに来ておられたお母さんも、当初はとても不安そうで、お話をしていて、その緊張が伝わってきました。それでも、一緒にAちゃんを見つめながら、「足、すごく動きますね。Aちゃんすごいねー! 神さまに守っていただこうね。みんな応援してるよ!」「あ、目を開けた。ママいるよー。大好きだよ!」と声をかける時間は、私自身がとても勇気づけられました。お母さんは毎日Aちゃんに、「大好きだよ。愛しているよ」と声をかけ続けておられました。
そして、私がお母さんとお会いできた日には必ず、チャペルで一緒にお祈りをしました。二人で「神さま、Aちゃんのいのちをお守りください。お支えください」とお祈りすることは、不安を握りしめていた手を少し開いて、神さまに委ねる時間でした。「神さまがいるから、きっと大丈夫」と、お母さんも私も自分自身に言い聞かせていたようにも思います。
Aちゃんは入院中たくさんがんばって、身体も大きく成長しました。退院が近づいてきたころ、お母さんがこう話してくださいました。「いのちに関わるときには、もちろん医療は必要です。ここでAを助けていただいて感謝しかありません。でも、必要なのは医療だけではないんです。いのちに関わるときにはだれかに祈ってもらいたいんです。だから、こうしてお祈りしてもらえることに救われました」と。そして、「退院の日に、Aをチャペルで抱っこしてくださいね」と。〝チャペルでAちゃんを抱っこさせてもらえる!〟 私の胸は躍りました。その日から私はAちゃんを抱っこする日を待ち望みました。そして思ったのは、聖書に登場する幼子イエスを腕に抱いたシメオンという人のことでした。シメオンは神を信じる人で、神さまが遣わすメシア(救い主)に会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていました(ルカ二・二五~二六)。神さまから「あなたはメシアに出会う」と約束をいただいた彼は、その日を想像しながら胸を躍らせていたことでしょう。〝シメオンが幼子イエスさまを見て、その小さな身体を腕に抱いたとき、どんな気持ちだったのだろう? Aちゃんを抱っこしたら、私はどんな気持ちになるのだろうか?〟と考えていました。
退院の日、お母さんに抱っこされたAちゃんとお父さんと一緒にチャペルに行きました。そして、ついにその時が来ました。お母さんからAちゃんを渡されるとき、「重いですよ」と何度も言われながら、私はAちゃんを受け取り、抱っこしました。抱っこして、とてもびっくりしました。Aちゃんは想像以上に軽かったのです。〝これが、大きく成長したAちゃんの重みなのか。なら、生まれてすぐのAちゃんはどれほど軽くて小さかったのだろうか〟、そう思うと涙がこみ上げました。お父さんが言われました。「妻が病棟のAのところにいる間、僕はここで祈っていたんです。わが子のために自分にできることがあるなら何でもしようと思って祈ったんです」と。
〝「いのちを抱く」ということは、祈ることと深く繋がっているのかもしれない〟、Aちゃんを抱っこさせてもらい、お父さんとお母さんのお心を知って、私はそう感じました。私たちのいのちは父なる神さまに抱かれて生きるのだと、小さな赤ちゃんたちから教えてもらっています。