連載 ひきだしの中の信仰 第9回 「しかし」に立つ信仰
イラストと ことば
林 くみこ
グラフィックデザイナー。「よきおとずれ」を運び、互いに祝福し合うために用いてください、という願いをこめて、聖書のメッセージやみことばからイメージしたイラストのポストカードをゆるゆる制作中。東京・奥多摩にあるクリスチャンキャンプ場・奥多摩福音の家スタッフ。
今月の聖句
詩編 73編23節
「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせ」で終わる詩篇73 篇(新改訳第三版)は、「神は……いつくしみ深い」で始まる。二つの告白を単純に繫ぐことができれば、神はいつくしみ深い、「だから」神の近くにいることがしあわせ、になる。でも実際は、目に見える現実と、苦々しさで満ちた心を超えて繰り返される「しかし」で繫がっている。
神がどのような方かがよく分かる、と『羊飼いが見た詩篇23 篇』(フィリップ・ケラー、いのちのことば社)という本を薦められた。聖書では、神と人との関係が羊飼いと羊にたとえられる。この本では、牧場主として羊の世話をした著者の経験から、羊にとっての羊飼い、つまり、人にとっての神がどんな存在なのかが語られている。たとえば、羊は羊飼いに導かれて、焼けつく荒野を青草や水を求めて旅をする。羊飼いは、滑落や猛獣などの危険から羊を守る。恐れや緊張、飢え、渇きがあると、羊は横になって休むこともできない。そのため、羊飼いはいつも共にいて、彼らの様子に気を配るのだそうだ。
命の危機や喪失、失望など、誰にもそれぞれの悲惨があり、さらに「神がおられるのになぜ」という思いとの闘いが、その苦しみをより深くする。しかし、主はその中に、いつくしみと恵みをもって伴ってくださっている。羊が羊飼いの存在に安心するように、これからも、この手をしっかりつかんでいてくださる方の近くで、私にとっては、と告白し続けられることを願う。