連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第9回 なでしこ祈祷会

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

なでしこ祈祷会は今から十三年前に始まった。
メンバーは、ガーデン長の義母の美代子さん、チャプレンだったエミコ先生、おせいさん。当時盛り上がっていた、女子サッカーのなでしこジャパンからのネーミングだ。
「三人にふさわしくない。三婆祈祷会にしたら」と言われたりもした。今では三人とも八十歳代になったから、三婆の会でもいい。
「シャロームのためにだけ祈る日がいる」、そんな思いが三婆さんに与えられた。
あれから、十三年。毎月一回、エミコ先生がご自分のお宅を開放してくれた。十三年の間に三婆さんの環境も変わった。しかし、なでしこ祈祷会は活発に継続していた。
エミコ先生のご主人様は天国に。美代子さんのご主人様には美代子さんの介護がいる。
おせいさんの旦那は、口は達者だが、片足が危なかっしい。口より足が達者だとありがたいんだけど。
三婆は、十三年前と何ら遜色ない。
エミコ先生は、ご主人様の介護をされていた時、いつも明るかった。介護をしている人にありがちな、辛そうな影は全くなかった。
「夜中に『神の御子にます〜』と聖歌が流れるのよ。それが、私を呼び覚ますの。今もその曲が流れるとハッとするわ」、ユーモアたっぷりにエミコ先生は語る。
エミコ先生のように、どこまでも明るく介護できたら、介護される人も、毎日笑わせてもらって楽しいことだろう。大変な日々の中でも、エミコ先生のユーモアは健在だった。
福音と笑いをセットにしたら、すごい威力で免疫力が上がりまんなあ。
エミコ先生の夫は多門先生だ。多門先生はシャロームに対して、「クリスチャンの会社をクリスチャンが祈って支えなければ」とおせいさんを支えてくれた。多門先生の遺影は今もおせいさんを励ます。
美代子さんは、教会の伝道師としての働きにも力を尽くす。イエス様のことを知ってほしいという思いのあふれた本も出版した。病も祈りで癒やされていた。毎日がパワフルな伝道だ。
美代子さんは「祈りの前には、悔い改めが大切です」と言われる。バックストンを敬愛している彼女は、バックストンの信仰に学ぶことが多い。
祈祷会は毎回、先月の祈りの課題の結果がどうなったのかを吟味してから、今月の祈りの課題に入る。
多くのスタッフのこと、経営のこと、ご利用者様のこと、と祈ることは目白押しだ。
シャロームのスタッフは七百名もいる。その方向性を指示していくのが会長の仕事だ。指示が的確であるように、神様の道であるようにと、三人で祈る。旦那の性格を一番知っているおせいさんには、そんな祈りの実現が難題と感じられることもある。それでも祈りの答えに期待した。
「神様ならおできになる。われわれの思いは大したことないから」
有料老人ホーム「晴れる家」の六号館を建てる時、駐車場のスペースが狭かった。近くに与えられるようにと、現地に行き、三人で手を置いて祈った。一年後、思ってもいなかった土地が与えられた。その土地は、使いやすくて、広かった。私たちの祈りを超えた良きことを神様はなしてくださった。
十三年間、シャロームの裏側事情もすべて祈った。
私たち三人はお喋りだと思われていたが、口外してならんことには固くチャックして、ただ祈った。
お祈りが終わると、お茶の時間だ。落ち込んでいる人は呼んであげたい。その話の輪に入ると、元気になること請け合いだ。みことばとユーモアが飛び交う。
免疫の上がる祈り会。コロナのころは、免疫アップが話題になった。なでしこ祈祷会は時代の先取りだった。
八十代三人それぞれ重荷はあるが、前向き、くじけない。いつも祈り、聖書を土台にしているから、「老いるショック」も吹き飛ぶ。
食事をおろそかにしない。栄養たっぷりの食事、料理好きな三婆さんだ。腰が痛い、肩が凝る。そんな痛みや凝りもあるが、気にしていない。
三婆は喜んで、喋りつつ遣わされたところで働いている。
個性強き三人が十三年間も分裂せずに祈りの輪を保てたのは、神様は何とおっしゃっているかを、生き方の真ん中に据えていたからだろう。
三婆が神様と生きている姿に、イエス様のオーラをまとっていたい。