連載 グレーの中を泳ぐ 第9回 同伴者が与えられて
髙畠恵子
救世軍神田小隊士官(牧師)。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座修了。一男三女の母。salvoがん哲学カフェ代表。趣味は刺し子。
死にたかった時も、がんになった時も、イエス様はそこにいた
霊的同伴の学びでは、病気より健康、貧しさより富、不名誉より名誉、短命より長寿が「良い」「幸福」という考え方が霊的自由の妨げになると学びました。神以外の何ものにも執着しない心を「不偏心」といいますが、その心を育てるのが大切だということです。しかし、がんの告知を受けた時に、この意味をわかりたくないと思いました。神の召しに対してまだ使命を果たしていないので、病気より健康、短命より長寿を願うことの何が悪いのかと怒りが湧きました。
一方で「神が私をがんという状況に置いたのなら、私にその意味が問われているのだろうか。神と深く結びつき神と一つとなる旅路のために、がんが必要なのかもしれない」とも思いました。また、たましいの暗夜(その中で学ぶべきことを学ぶまで神の臨在を感じられない時期)というものがあるということも学んでいたので、これが私の暗夜で、今は神も助けてはくださらない、祈ってもすがっても沈黙されるのだとしたら耐えきれないと思いました。
病室で布団をかぶり、自分はこれまで何をしてきたのか、本当の望みは何か、新しいスタートを切ったばかりの子どもたちのそばにもいてあげられないというようなことを考えて、声を押し殺して泣き続けました。
そんな時、「このがんの経験を牧会に生かすのよ」とか「信仰の役に立つ出来事だから乗りこえよう」と励まされると苦しみが増しました。私はそのためにこんな経験はいらないと思いましたし、牧師なのだから良いがん患者であれ、がんは神の栄光が現れるためのもの、と言われているようなプレッシャーを勝手に感じました。
さらに「病気は罪の結果」という説教を聞いた時は、かなりこたえました。自分がどれほどの罪人かはよく分かっているつもりでした。それなのにまだ、罪のせいで命をおびやかされながら戦わなくてはならないのか。戦うことを使命とする教団の中で、弱さや病気で戦えない士官(牧師)である自分は、かつてのように「生きる資格なし」とされるのではないかと、勝手に不安になりました。神は、愛で赦しであわれみ深いお方ではないのか。私にとって神とは誰なのか。そして私は誰だ、という問いも強く湧き上がりました。
がんになったことで人間関係も変わりました。自分の不安を解消するためにいろいろ聞いてくる人、連絡が途絶えた人、反対に何十年も連絡をとっていなかったのに、私が生きているうちにと会いにきた人、余命を聞く人……。それぞれの思いがすれ違い、人間関係がいちばんのストレスでした。
その頃、告知された時に連絡をした友人である牧師が、「これはキリストの衣の裾を握るしかない」と言いました。私は、「そうだ、イエスの衣の裾にでも触れる者は癒やされるのだ。それには自分で触れに行くか、誰かにイエス様のところに連れていってもらわなければならない。ある程度のところまでは自分で行ける。でも、霊の深いところまで降っていってイエス様の衣の裾に触れることは自分だけではできない」と思いました。
また、手術前に一時退院したある晩に、生まれて初めて、主が枕辺に立ち「わたしは、いる」と言ってくださる夢を見ました。そのようなことがあって、今この時、霊的同伴を受けたいと切望しました。学びをしていたそれまでの二年間、同伴を受けたくても、してくださる方が見つかりませんでした。霊的同伴はカトリックから始まったもので、カトリックの司祭や信徒の方に同伴者はおられると思いますが、まったく伝手がありませんでした。一方、プロテスタントでは霊的同伴のクラスが日本で初めてスタートしてまだ二年、そのクラスも養成コースではないので、共に学んでいる人に同伴者になってもらうこともできませんでした。ただ以前からブログを通して、霊的同伴の経験者で自身も霊的同伴者であるアメリカ在住の日本人Sさんの存在を知っていましたが、面識があるわけでもなく連絡先もわかりませんでした。
そこで、私のがんのことを知っている友人に「Sさんに霊的同伴をお願いしたいのだけど、どうしたらいいのかわからない」と話したところ、その友人がSさんとも友人であることがわかり、彼女が連絡をとってくれたのです。そして通常は被同伴者のほうから同伴者にお願いするものであるにもかかわらず、Sさんのほうから「私でよかったら」と連絡をくださり、霊的同伴をしていただくことになりました。