連載 グレーの中を泳ぐ 第10回 自由を得た魂
髙畠恵子
救世軍神田小隊士官(牧師)。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座修了。一男三女の母。salvoがん哲学カフェ代表。趣味は刺し子。
死にたかった時も、がんになった時も、イエス様はそこにいた
一回めの同伴は、手術の二日前、病院の廊下の端に椅子を持って行き、そこで受けました。挨拶も自己紹介もそこそこに、私は自分の気持ちや霊的な苦しみを話し続けました。そんな中でふと同伴者のSさんが「今、神様はどこにおられると感じますか」と静かに聞かれました。窓の外には青空と雲が見え、私は「窓の外、雲の上ですね」と答えました。
その時に「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。主は あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は まどろむこともない」(詩篇121・1~3)が思い浮かびました。神は来てくださる、いや、すでに今ここにおられると思い、「インマヌエルですね」と言いました。インマヌエルの主が共におられる! この苦しみのただ中にも、手術のただ中にも。それは魂に深く響きました。手術前、麻酔がかかるまでの数秒間にどんな祈りをするか考えていたので、「インマヌエル、主よ来てください」にしようと決めました。麻酔直前に祈ることばが与えられて、一回めの同伴は終了しました。
術後は、あまりにも多くの管につながれていることにびっくりしました。身動きできない身体。それが、それまでの縛られていた自分と重なり、その状態がこれからも続くかのような感覚に襲われ、一瞬の恐怖を感じました。しかし、次の瞬間に静かなささやき声のような気づきがありました。「でも魂は何にもつながれていないではないか」はっとしました。そうだ、確かに魂が何を感じ、何を思うのも自由だ! 使徒一六章でパウロとシラスが牢獄に入れられた時、足に木の足かせをはめられて拘束された状態であったにもかかわらず、キリストの自由によって賛美し、神に祈っていた場面が思い出されました。「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました」(ガラテヤ5・1)とのみことばも迫ってきました。
これこそ私がずっと神に願っていたことでした。また大学の神学部を辞めた時に、当時の学長が一枚の手作りのしおりを下さいました。そのしおりにはラテン語で「キリストの自由」と書いてありました。私が霊的な不自由さで深く悩み、葛藤し苦しんでいることを知っていたのです。そしてそれが私の信仰の課題であることも知っていてそのことばを下さり、祈り続けてくださっていました。牧師になっても、いろいろな経験を積んでも「霊的不自由」を感じていた私にとって、この「でも魂は何にもつながれていないではないか」という気づきの訪れが「霊的自由」をいただいた瞬間でした。過去の出来事、人間関係、ことばなどの点と点が線でつながった時でした。
人生の汚点だと思っていた出来事も、この「霊的自由」への備えであったことも感じました。時に神は、何十年もかけて面倒でやっかいな人間関係、特に家族や身近な人々との関係を通して、あるいは、どうにもならない身動きのできない状況を通して、そのお姿を現し、語りかけてくださることを思います。
その時、心の中の深い海の底、魂に神が佇んでおられるのを知るという体験をしました。私のベッドは医療機器に囲まれ、機械音がし、ICUならではの気配、苦しそうな患者さんの会話が聞こえます。しかし、神からその語りかけがあった瞬間は、静寂で時間がゆっくり流れている感覚がしました。「私は自由だ。だったら感謝しよう。『痛い』も『苦しい』も全部神に話そう」なぜかそう思いました。
実は、手術室からICUに戻ってしばらくの間、私の心は文句とあせりでいっぱいでした。術前までベッドサイドでスクワットしていた自分が今は動けない(あたりまえ)、ここまで大手術だとは思わなかった(想像できていなかった)、鼻と口のチューブが苦しい(痰が引っかかっている感覚)。「聞いてないよ」と怒っていました。しかし、神の語りかけを聞いたあと、手術が無事終わったこと、先生、スタッフ、家族、祈ってくださっている方々、支えてくださっている救世軍の同労者、これまでの自分の人生で出会った方々、思い出すかぎりの顔と名前を思い浮かべ感謝しました。それはわずか五分か十分のことでしたが、それまで祈ったどの時間よりも豊かな神との時間でした。
とはいえ、その後、激痛で涙が出ましたし、不安や淋しさに襲われ、時には「何で私なんだ!」と叫びました。それでも、霊的同伴とがんの治療が同時にスタートしたことで、それまで神に対して半開きだった心、態度、魂が、全開になったのを感じました。