連載 ひきだしの中の信仰 第11回 恐れのある日に
イラストと ことば
林 くみこ
グラフィックデザイナー。「よきおとずれ」を運び、互いに祝福し合うために用いてください、という願いをこめて、聖書のメッセージやみことばからイメージしたイラストのポストカードをゆるゆる制作中。東京・奥多摩にあるクリスチャンキャンプ場・奥多摩福音の家スタッフ。
今月の聖句
イザヤ書41章10節
旧約聖書と新約聖書の間に、1 枚の白紙がある(※)。そこには、中間時代(契約と契約の間の時代)と呼ばれる、敗戦と捕囚で終わる旧約時代からイエスの福音が届くまでの400 年間がある。その時間に生きた人々の、神の沈黙の中を待ち望む信仰に興味を持ち、中間時代史の授業を聴講した。少しだけ学んで知ったのは、神の約束のことばはすでに語られていたけれど、繰り返される戦争と圧政の中で、多くの人々は失望していたということだった。しかし、そんな信仰の危機を通りながらも、再び「神のことば」を求める民として整えられ、イエス誕生という恵みの時を迎える。
ふと、人生の順境と逆境、神の恵みによる新境地の三つの時期に分けて詩篇を辿る、一日修養会の講義を思い出した。その中で、人生が完全に崩壊したような逆境の時期がさなぎにたとえられていた。なんと幼虫はさなぎの中で溶けて液体になり、再び組み合わされて蝶として羽ばたくという。
「恐れるな」という言葉は、聖書に何度も登場する。それは、恐れることはないと言われ続けなければいけないほど、わたしたちが常に「恐れ」の中に生きているということなのかもしれない。イエスと共に生きた弟子たちでさえ、救い主を失った(ように見えた)夜に、恐れに満たされている。けれど、人生が壊れたと感じるような失望や疑念、恐れの日々でさえ「整える」時間とされる方が、今この時も「恐れるな」「共にいる」と繰り返し呼びかけておられる。
※新改訳聖書 第三版