書評books 「葬り」から見つめる死と生
青山学院大学教授・宗教主任 藤原淳賀
『死ぬ日は生まれる日にまさる キリスト教の死と葬儀』
赤江弘之 著
B6判・98頁
定価880円(税込)
いのちのことば社
本書は、高齢化社会の日本において「聖書の死生観に基づいた葬儀のあり方をキリスト教会と日本社会に提唱すること」を目的としている(本文九六頁)。
地上での生涯を終える時、「霊はこれを与えた神に帰る」(伝道者一二・七)。自分の体も持ち物もすべて地上に残して神に帰る。しかしキリスト教は、「生」も「死」も「葬」も大切にしてきた(四二頁)。アブラハムの時代から神の民は葬りを大切にしてきた(四五頁)。葬式も香料も、墓地、墓石も旧約の聖徒たちが行っていたことである。異教的であるとして否定してはならない(四七頁)。キリスト教徒にふさわしい葬りが必要である。
本書はまた仏教の死生観を扱っている。無霊魂的原始仏教(二七、三八頁)、日本で発展した禅宗(二九頁)、戒名、位牌、仏壇(六三頁)、また自然葬(散骨、樹木葬)についても論じている(五一頁)。位牌や仏壇は、親戚に希望者がいれば引き取っていただき、いなければお寺に戻す(七二頁)ことを勧めている。
「仏教の儀礼そのものが全面的に否定されるのではなく(中略)異教的要素を取り除き、またキリスト教葬儀として改革していくことが」必要であるという(七〇頁)。これは日本文化の変革であり、新たな文化形成である(H・R・ニーバー)。
赤江先生はその師、橋本巽牧師からキリスト教と日本文化についての実存的関心を受け継がれた。赤江先生によって信仰に導かれた私も同様である。
ユダヤ主義を厳しく批判したパウロは「肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよい」という(ローマ九・三)。赤江先生は、同胞と日本への愛を持つ稀有な牧師である。しかも情に流されることなく日本文化の罪を明確に理解しながら、岡山・西大寺という門前町で伝道牧会してこられた。人口五万人の西大寺で五百人収容の礼拝堂が建ち、学校と福祉施設が並ぶ。地域からの信頼を受け、多くの方々が集っている。本書は日本の教会の必読書である。