連載 グレーの中を泳ぐ 第十二回 私は神の愛する子
髙畠恵子
救世軍神田小隊士官(牧師)。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座修了。一男三女の母。salvoがん哲学カフェ代表。趣味は刺し子。
死にたかった時も、がんになった時も、イエス様はそこにいた
手術後に受けていた抗がん剤治療は、当初はあまり副作用がなかったのですが、終了まであと二週間という時に副作用が強くなり、精神的にもつらくなり、ストレスから全身痙攣が起こったため、入院をしました。医師に「残り二週間分の抗がん剤治療はしなくていい」と判断され、中止になりました。私は「なぜあと二週間が頑張れなかったのか。もしこの二週間が原因でがんが再発・転移したらどうしよう」とあせりました。「強い信仰を持ち、祈り、霊的に恵まれていること」と「治療を頑張れる」ことは比例していると思っていた部分もあったので、一気に谷底に落ちたような精神状態になりました。
そして、これは体のことではないので医師も助けてくれない、と思いました。もしかしたら今度こそ魂の暗夜に入ったのかもしれないと恐怖も感じました。不安発作が起きる時、恐怖に襲われる時に、神はどこにおられるのか、神は私に何を求めておられるのか、日々変化する感情をどう扱えばいいのかと分からずにいました。
当時つけていたノートに、その時のことをこう記しています。
「今、抗がん剤をやめたら、影響はあるのだろうか。毎日精いっぱい、悔いのないように一日一日を大切に生きるのも疲れた。そんなに全力で毎日生きたら、もたない。
がんも薬も妻も母も全部やめた、と、パッと消えたいなぁ。睡眠薬と抗がん剤と処方薬を全部一緒に飲もうかなとか思っちゃう。そしたら一回で全部終わるし。
踏ん張れるかなぁ。もう信仰うんぬんとか祈ってとか、気持ちが追いつかない。一時のつらさで全部放り投げたくなる。それだけの人間だからなぁ。バランスの良い人にはなれないなぁ」
信仰とは、いざという時に「頑張れる力」「乗り越える力」「役に立つもの」だと思っていました。でも、この時はもう、どうにもならない感じでした。信仰とは何だ、だれのため、何のためのもので、どこに向かうものなのか……と考えました。答えがすぐに出たわけではありませんでしたが、そういったことを考えているうちに、頑張れない時、乗り越えられないと思う時、信仰なんて役に立たないのではと思う時、それでも、そういう自分のままで神と向き合う姿勢が信仰なのかな、と思うようになりました。
私は苦しみについて、いつも誰かをうらんでいるか、誰かのせいだと怒っていたのだと思います。そういったうらみや怒りの感情について、自分では責任を取らずに、だれかに押しつけようとしていました。けれども、その時、「キリストは、自由を得させるために」(ガラテヤ5・1)というみことばが、再び迫ってきました。
「私は、日々起こる出来事に対してどう思い、どう考え、何を言うのかという自由と権利を持っている。それを何のために使うのか」と迫られていると感じました。そして神は「その自由と権利をわたしに差し出しなさい」とそっと促してくださいました。
しかし私は、それだけは差し出したくないと思いました。なぜならそれは、私にとって唯一で最強の武器だと思っていたからです。「それを神に差し出したら、私が私でなくなる。私の価値やユニークさが失われる。その自由を失った私は何者か」と思ったのです。
神にそう問いながら聖書を読んでいた、なんでもない普通のある朝、「あなたが自由や権利を差し出す以前に、あなたは私の愛する子だ」と神が静かに語られました。それは、魂の深海の底にたどり着いたような静寂の時でした。神と自分だけしかいない場所、時間に感じました。私には、神の子として絶対に安心で安全な身分がある。ホッとしました。
今まで、自分がどういう存在かと考えた時に、「がんで奉仕が充分にできない牧師の私」「家事育児が充分にできていない母の私」「妻としても充分でない私」「療養で精いっぱいでご近所さんに何もして差し上げられない私」「心配ばかりかける娘であり妹の私」が頭に浮かんできていました。「充分でない、できない、~がない」が、私にとって物心ついた時からの不安と恐れでした。
けれども、神はそういったことにはまったく関係なく「ご自分の愛する子」としての身分を私に与えてくださっているとわかって、やっと安心できました。「もう大丈夫だ。ない、充分でない、できない、という欠乏感から解放された!」という気持ちでした。これもキリストにある自由だ、そう思いました。