書評books 心を切り裂かれながら、主の深い恵みの世界へ
大阪聖書学院 教師 老松 望
『詩篇 365の黙想と祈り』
篠原明 著
B6判・176頁
定価1,980円(税込)
いのちのことば社
本書はあとがきも含めて百五十頁余りの小著です。一日に読む分量は半頁ぐらい、聖書箇所も長くて十五節弱です。そういう意味では、とても簡潔な内容だと言えるでしょう。
しかし、決して簡便な本ではありません。むしろ、本書に勧められている形でディボーションをするならば、「思いのほか時間がかかる」と感じることでしょう。それもそのはず、本書は手際よく知識を得ることを主眼としたものではなく、錬成のため、修養のための書だからです。特に、詩篇の祈りを自分の祈りとするために記されています。言ってみれば、みことばによって祈りの手ほどきを受けるようなものですから、短時間で済ませるわけにはいきません。しかし、覚悟を決めて詩篇の世界に踏み込むならば、足を踏み入れなければ味わうことのできない恵みを味わい、安らうことができると著者は述べています。
そして、その恩恵に私自身も浴してきました。本書の序論にはカルヴァンの述べた「詩篇は魂のあらゆる部分の解剖図」という言葉が紹介されていますが、まさに私の内側の「あらゆる部分」にメスが入れられるような体験をしてきました。特に、各所に散りばめられている問いによって、心を深く探られました。「詩篇には復讐とさばきを求める祈りが多すぎると思いますか」のような聖書に対する率直な疑問。また、「愛の神がこんなことを許すのかと思っていることがありますか」のような、読者の本音をえぐる質問。これらの問いは、「神様の前で……極みまで正直になる」こと、つまり「ありのままの自分になる」ことを随分助けてくれました。そのようにして、自らの呻きや痛みや戸惑い、また時には怒りの感情まで、神様の前に吐き出すことができました。
ところで、あとがきによりますと、詩篇の祈りを自分の祈りとすることは、著者にとって単なる理想の追求ではなかったようです。というのも、著者は「魂の闇夜」とも言うべき人生の最も苦しい時期を通っていたからです。詩篇の叫びを自らの叫びとする中で紡がれた言葉が、読者に現実的な霊的導きを与えてくれることでしょう。