364 時代を見る眼 阪神・淡路大震災から30年 〔1〕 進化するネットワーク
基督兄弟団西宮教会
ニューコミュニティ 牧師
小平 牧生
1995年1月17日、私は30年前のあの朝のことを忘れることはありません。ものすごい揺れと、木が裂ける音、そして異様な光によって目が覚めました。余震の中で倒れた家具をかき分けてやっとの思いで外に出た時には、空は明るくなっていました。壊れた家の下からおばあさんを助け出し、ふと目を上げた時に、向こう側に見えるはずの高速道路がなかった現実に、腰の抜ける思いがしました。
その日から生活は一変しました。私たちの教会は、震災直後に市の指定避難所となりました。ワールド・ビジョン・ジャパン、国際飢餓対策機構(当時)などの現地事務所が置かれ、阪神宣教祈祷会によって結成された「『We Love阪神!』大震災復興ミニストリー」の事務局として復興支援の働きが始まりました。ボランティアの経験もなく、何の知識も準備もない中での終わりのない歩みの始まりでした。
あれから30年、私たちの社会は大きく変わりました。
阪神・淡路大震災の時には、携帯電話、インターネット、電子メールなどは、いずれも十分に普及していませんでした。私が使っていた情報ツールは、ポケベルとパソコン通信です(パソコン通信とは、一か所のホストコンピューターに個人のコンピューターを接続し情報を受発信するもの)。しかし、電話のつながらない中でかろうじて電子掲示板に情報を書いても、そこを訪れる人はごく一部です。
現在のように、スマートフォンで現地の様子をリアルタイムで観ることができ、支援者や被災者が双方向で情報発信ができる環境は、まるで夢のようです。
この間に作り上げられた教会ネットワークや、宣教インフラの広がりと深まりには目を見張るものがあります。ボランティアに関する意識と実践が深まり、教団や団体のリーダーたちの信頼やつながりは強まり、地域の人たちや行政との協力の働きが豊かなものとなりました。それはちょうど、あのパソコン通信とインターネットの違いのように、キリスト教会という狭い世界のネットワークでしかなかったものが、今ではキリスト教会の外にも無限につながるネットワークとなっているのです。
そして、互いにつながるネットワークは、何よりも私たちの互いの関係を変え、新しくしつつあります。私たちを「支える者」から「支えられる者」、そして「支え合う者たち」へと向かわせているのです。