特集 子どもたちに福音を ただ愛の招きに応えて
まもなく新年度。教会に集う多くの子どもたちも進級や進学を迎える。日々成長する子どもたちが、幼い頃から聖書に親しみ、神とともに歩んでいくために、私たちができることをあらためて考える。
『見せよう イエスさまを』訳者 楠 望
『見せよう イエスさまを』の一読者として、そして一人の未熟な親として、家庭での信仰継承について考えさせられたことをここにお分かちしたいと思います。
私はクリスチャンホームに生まれ、まさに「教会っ子」として育ちました。教会での振る舞い方、聖書の質問への答え方、人前でのお祈りの仕方、信仰告白のセリフまわしまで、模範解答をすべて知っていました(とはいえ率先して手を挙げるタイプの子どもではありませんでしたが……)。しかし「イエスを愛していたか」「イエスこそ私の唯一の、最大の希望、最大の愛をささげる対象か」と聞かれると、首を傾げてしまったでしょう。私はイエスに出会っていながら、決定的には変えられていませんでした。私の両親は、しかし、「イエス・キリストを愛する生活」を存分に見せ続けてくれていました。本書に、子どもたちに福音を伝えるうえで「私たちの使命は、福音の熱狂的ファンになること」とありますが、まさにそのとおりでした。私は漠然と、両親の信仰を見つめながら、どこか自分の中ではそこまでアツくなれないものを感じていたように思います。
本書の四章に、ペテロが大量の魚を捕り、イエスに従ったエピソードが描かれています。ペテロは、イエスとすでに出会っていながら、このお方が神の御子、真の救い主であることに気づきもせず、魚が捕れないことで頭がいっぱいでした。私も同じように、イエスと同じ舟にいながら、このお方を知らないままで、「イエスの存在は信じる、でもこの方が私に何をしてくれるのかわからない」状態だったように思います。しかし、イエスの御業を目の当たりにしたペテロは、まず自分の罪に気づきました。そしてきよい神の御子の前で畏れ、ひれ伏したのです。そしてすべてを捨てて、イエスについて行きました。
「この物語は、ペテロがヒーローになるお話ではありません。ペテロが、自分の心を捕らえたヒーローに出会うお話です」(一二七頁)という著者の言葉が印象的です。まさに、一人の人間が、神がどのようなお方で(聖なる全能なるさばき主)、私がその神の御前でどのような存在で(罪に汚れた小さき者)、その私のためにイエスが何をしてくださったか(神のさばきから救うために人となり、身代わりとなっていのちを献げ、その義を私のものとしてくださった)を知り、イエスに出会うとき、つまり「福音」を本当に心から知るとき、人は「神は私に何をしてくれるのか」ではなく、「神はなぜ、こんな私をも救ってくださったのか」と、ただただひれ伏すしかなくなると思うのです。「受けるに値しない」とは、まさにそのとおりです。そしてひれ伏すと同時に、信じられないような圧倒的なイエスの恵みと愛に、爆発するような感謝が溢れてきます。ペテロはそれを体験し、私もそうでした。そして初めて(ようやく)、両親があんなにも熱心にイエスを愛する理由がわかったように思います。
そして親になった今、結局、私が子どもたちへの信仰継承としてできることは何か……と思い巡らすとき、まず気づくのは、私ががんばってこのペテロの体験を子どもに与えることはできないんだ、ということです。私が「イエス」という役を演じることが信仰継承ではありません。「私を見て、私についてきなさい」なんて子どもに言えるほど、私はえらくありません。むしろ「見ないほうがいいよ」と言いたくなります。子育てほど自分の不完全さや情けなさに気づかされることはあるでしょうか……。
また親としては、「きちんとした教会生活を」「クリスチャンらしい振る舞いを」「きちんと祈って聖書を読んで」など、うわべの従順を求めてしまい、そのような外側の振る舞いが見えたら「この子は大丈夫」と安心したりしています。反省することばかりです。
それでも、子どもたちは福音を渇望しています。彼らは救われなければならない存在です。しかし、救いを与えるのは神の力です。それはある意味、安らぎでもあります。
我が家の長男はもうじき十三歳です。親に言われるがままに教会に通う時期から、信仰を自分のものとしていく段階に入っていることを、日々の会話の端々に感じています。そのとき彼が、「自分が神さまのためにできていること」をカウントして、これなら神さまは自分を受け入れてくれるだろう、と判断してほしくないと思います。むしろ誰でも、カウントした結果、「不十分だ」と感じるしかないでしょう。
そうではなく、彼がイエスに従うとき、それがイエスの一方的な愛の招きによる、恵みと赦しに安らぐ決断であってほしい。そうやって親である私たちも、イエスに従うようになったんだよと、現時点で充分に伝わっているだろうか、と自問しました。
「クリスチャン生活の原動力が、良い生き方のための原則ではなく、イエスの十字架であるからです」(二六頁)
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