特集 復活の喜びを伝える 「この町に」イースターの喜びを伝える

この十数年のあいだに、イースターの一般認知度はずいぶんと上がった。しかし、その本当の意味はどれだけ知られているだろうか。イースターを伝道の大切な機会として用いる意味を考えたい。

 

西大寺キリスト教会 牧師 赤江 弘之

 

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。……この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」(使徒18・9、10、太字筆者)
私が、「裸祭り」で有名な備前西大寺の人口数万の門前町に遣わされたのは一九七二年でした。その地では戦前、一九三〇年創立の小さな借家の開拓教会で、二十名ほどの礼拝出席者が集っていました。
今回の特集テーマに応える宣教理念は、赴任当初にはありませんでした。それは、神の恵みによって徐々に導かれてきたことでした。岡山の西大寺での五十三年間の宣教をとおして、私たちの教会に与えられた宣教理念を八つ、ご紹介したいと思います。
第一は、語り続けるのは「神のことば」です。聖書信仰がすべての土台です。聖書の権威を第一として固く信じるのです。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」(Ⅱテモテ3・16)にあるように、「旧新約聖書は、神の救いの計画の全体を啓示し、救い主イエス・キリストを顕し、救いの道を教える信仰と生活の唯一絶対の規範」だからです。
第二に、伝道は神の主権によってなされます。冒頭の聖句に「わたしの民」とあります。伝える側の努力によらず、神がご自分の民を呼び出されるのです。神の民は、町の大小によらず、神ご自身が備えておられます。
ですから、伝道の結果で一喜一憂することなく、神の民が「たくさんいる」という神の約束を信頼し続けるのです。
第三は、「腰を据えて」(使徒18・11)神のことばを語る「教会形成」です。岡山市は、公立の教育機関を最優先する保守的地域です。私立幼稚園の開設は受け付けられず、教会の附属幼稚園を開設することは困難を極めました。聖書に基づいた幼児教育を十年以上準備し続けました。聖書の教会観を信徒と役員会で共有しました。神のことばを学ぶ「成人科」を続け、やがて念願の「長老主義」教会になりました。
第四は、聖書信仰に立つ教義学です。天地創造が神の御業であり、創世記一章の六日の創造を、文字どおり信じる神学的立場です。科学万能主義による無神論的進化論と峻別します。進化のプロセスによって神が天地創造をされたという有神進化論は、無神論進化論との妥協の産物です。
有神論的進化論は、聖書の救済のマスタープランである創造・堕落・贖い(回復)・完成と矛盾します。「罪によって死が入った」と聖書は宣言します(ローマ5・12参照)。有神進化論によれば、アダムが罪を犯す前に、無限の「死」があったことになります。
幼稚園のお母さんの会「ハンナ会」で、果てしなく長い時間と偶然によって人間が存在したのであれば、幼児教育をする意味がなく、世界中の科学者たちが聖書の創造を信じている根拠もないという情報を伝えます。六日の創造を信じる人にとって、キリストの復活を信じることは自明の事柄です。
第五は、伝道の方策です。それは、「教育的個人伝道」です。私の著書、個人伝道テキスト『永遠への道』をもとに学ぶ、名づけて「アンデレ伝道」です。使徒二〇章二七節には「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです」とあります。キリスト教伝道は、聖書全体の教えを総合的に伝え、最後に信仰の決断を迫ることが原則です。
第六に、仏教的信仰との比較を伝えることも必要です。仏教的無常観と復活信仰を比較することによって、日本の宗教的土壌から踏ん切りをつける手助けになります。仏教も神道も、万物の起源について一切教えていません。「はじめも終わりもない」仏教的輪廻観と神道の神話に対して、「はじめであり、終わりである方」の治める、永遠で事実に基づく世界観は、回心の決断に有効です。高齢者、重篤の病人などに「永遠の命と御霊の身体」の福音を伝えます。天国での再会が約束されているので、天国でまた会いたいと心を込めて伝えるのです。
第七は、「復活信仰の確信」の重要性です。伝える側の本人が、身体のよみがえりを、自分自身の事柄として、心の底から信じ、喜んでいるべきです。
福音を伝える人が真実な復活信仰の確信に立っていることを、伝えられる側の人は感じ取ります。伝える側の真実と、聞く人の真実がぶつかりあうところで、福音は実を結ぶのです。私自身が、復活の確信にいきいきと喜んでいるか否かが問われます。それは、祈りによって深められるのです。
最後に、仏教的、異教的文化の中でキリスト教的な、福音に基づく文化の形成が必要です。偶像の祭りに参加しない「この町の」クリスチャン家庭の子どもたちのために、キリストの復活と降誕のお祝いをする本当の行事をすることです。
また、異教的な年中行事を福音化する工夫をしてきました。いわゆる、コンテクスチュアリゼーション(文化脈化)の西大寺版です。イースター礼拝は、子弟教育の教会学校と合同で、子ども対象の腹話術メッセージ、聖書劇、器楽、聖歌隊合唱、バイブルメッセージなど、教会総動員のプログラムです。かつては三百人規模のポトラックパーティーもしました。喜びにあふれる復活節の聖なる祭りです。
地方の小さい教会が、苦難を乗り越えて歩み続けてこられたのは、主の復活の事実に支えられたからです。私たちはすでに世に勝つ者となっています。主の復活によって、永遠の命を持っているからです。胸を張って神のことばを伝えましょう。