生命の危機の時代に このいのちに生かされて

辻岡 健象
小さないのちを守る会 代表

 雪崩 現象で押し寄せる、生命軽視と性の乱れ。果たして、歯止めがかけられるのか? この終末的危機感……。答えは「NO・否」であるかもしれません。

 現代の若者(に限ったことではありませんが)の中に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という思いと、「殺したかったから殺した 」という現実があります。また「法に触れずに、人を殺す方法を書け」と出題した学校の先生がいたそうです。加えて、中高年の自殺も増加の一途をたどり、生命軽視の蔓延の時代に突入しています。

 いのちとは何か。いのちの創造主である神を閉め出し、築き上げた現代文明社会に、いのちに対する絶対的価値観がなく、すべてが相対化されました。その結果、自分にとって価値がなく、不都合であれば、相手を殺害していいのです。そして、自分自身さえも簡単に抹殺する時代です。

 「なぜ殺してはいけないのか。殺したい。殺してみたい。殺してどこが悪いのか。死にたい。死んでなぜ悪いのか」。そして、他の動物界にも類を見ない、同種族間の殺戮を飽くことなく繰り返し、それが人工妊娠中絶という形ででも猛威を振るっています。わが国だけでも、その数は一日一万件以上、七秒に一人の割合で、年間の中絶件数は三百万から五百万件と聞いています。生まれてくる子どもの三倍近いわが子を殺しているのです(あの凶暴なライオンでも、仲間のライオンを殺したという話を聞いたことはありませんし、ましてや自殺したらしいという話も聞きません)。ライオンよりも凶暴で、かつ自分に対し、逆境に弱いのが人間なのでしょうか。

 「殺してはならない」(出エジプト20:13)、これは、いのちの創造主である神の無条件の命令です。何の妥協もありません。至上命令です。創造の冠として、尊い神のかたちに似せて造られた、いのちそのものの中に、神の栄光が現されています。いのちは神のものであり、自分のものとして私物化してはならないものです。人間の恣意によって、決して手をつけてはならない、尊い聖なる神の領域です。いのちは神秘に満ちた、神の領域です。

 遺伝子工学で世界のトップを行く、筑波大学の村上和雄教授は、どんなに科学が進歩しても、オタマジャクシがなぜ蛙になるか、が究明できれば、ノーベル賞が何個でも取れると言っています。サムシング・グレイト(何か偉大な力!)によって、いのちは存在しているというのです。生命誕生の神秘がここにあります。

 創造主の意志と目的によって、いのちが始まり、胎内で母胎との体温差一度、一つの受精卵が六十兆の細胞になり、そして誕生の瞬間のオギャーという産声は、水呼吸から空気呼吸に変わる危機的瞬間で、各個人にとって、秒差のずれも許されないとか。まさに奇跡です。誰がこんな神秘的な創造を成すことが出来るでしょうか(あの呱々の声は、神を賛美する厳粛な第一声です)。そして、ただ一つの、尊いかけがえのない神のいのちが誕生するのです。

 私は、小さないのちを守る会の働きの中で、時には暴力沙汰や刑事問題に発展しそうな危機的な状況の中で、日々いのちの感動に浸っています。ひとたび、いのちが胎内に宿り、どんな苦しい状況の中でも、産む使命に徹し、その使命を果たした女性のすばらしい輝き。オギャーと泣く新しいいのちに接した途端、事情があって顔も見ず、自分で抱くことが出来なくても、いのちの尊さを知ったと語ってくれる女性。一つのいのちを生み出すことによって、この世の価値でない、もっと素晴らしい世界があることを知ったと語ってくれた女性……。また、たとえ実子でなくても、神から授かったこのいのちを、真にわが子としていのちを懸けて、養育の使命を果たしたいですと、顔をほころばせて決意する養親……。その養親のもとで、すくすく成長する小さないのちの幸せ一杯の笑顔は、どんなことばよりも、いのちの尊さ、生かされている喜びを表しています。

 マザーテレサは、最も貧しい人々の中に、イエス・キリストが見えると言いました。私も、小さないのちを守る働きの中で、小さなイエスさまが見えてきたように思います。いのちといのちの触れ合いの感動です。

 神が望んでいる平和……、それはすべてのいのちが尊ばれ、愛し合い、助け合い、いのちといのちの触れ合いに、温もりがあり、優しさがあり、感動があり、喜びがあり、希望がある平和です。地に平和を! 私は今、そんな日の到来を夢見ています。生まれてきて良かった、生きていて良かった、幸せだったと言える日の到来を。

 神よ、いのちの創造主である神よ。来たらせてください。全てのいのちが尊ばれる、主よ御国を。