ブック・レビュー 『ヒロシマ・ナガサキの思い、未来へ』
木村公一
日本バプテスト連盟 福岡国際キリスト教会牧師
神が記憶しているこの悲劇と罪責が記憶から薄れていく前に
キリスト者の被爆証言録がこのたび「いのちのことば社」から出版された。この書は、日本軍の侵略の犠牲となったアジアの人々に対し加害者としての立場を自覚しつつ、「キリスト者として偏狭なナショナリズムを克服し」(拝高真紀夫牧師)、しかも、「広島・長崎が払った犠牲と背負った痛みをこの地上で繰り返さないために、真実を語り続ける働きと責任は……日本の教会やキリスト者が担うべき十字架」(友納靖史牧師)であるという視点を読者に提供してくれる。
栗原明子さんは、自らの被爆経験から筆をおこして、当時広島に留学していたアジア諸国の学生たちの、さらに、現在のウラン兵器に苦しむ無辜の人々の犠牲に思いをはせる。「原爆投下にまで至ったあの戦争のときに」、国家から「ただ言われるままに過ごして」きたという森田美恵子さんは、キリスト信仰をばねとして、長い沈黙をやぶって証言しはじめた。天野文子さんは、広島のグラウンド・ゼロを拠点として「日本国憲法第九条は、アジアの人たちに対する謝罪の証しでもある不戦の誓いです」と訴える。「神を愛し、人を愛して生きよ」との信仰を与えられた山口カズ子さんは、「戦争をしない生き方」を求めて、歴史を「逆戻り」させてはならないと語る。
私がこの書物から学んだ最も大きなことは次のことだ。被爆証言者が地上にひとりもいなくなると、この悲劇と罪責が、日本人の記憶の深層から薄らいでいくことが心配されている。一方、この忘却から利益を得ようとする政治家や軍事産業家たちが存在する。こうした現実のなかで、キリストの教会は、主の晩餐の集まりのたびに、神がこの悲劇と罪責を記憶(アネムネーシス)されていることを想起(アネムネーシス)するように召されている(コリント人への手紙第一 一一章二五節)ことを忘れてはならないということである。
すばらしい編集の労をとられたいのちのことば社に、「ご苦労さま」と心から申し上げたい。