時代を見る目 133 ニート(3) 寄り添うことの大切さ
右近勝吉
便利屋「右近サービス社」代表
北海道から上京し、どのようなことでもいいので仕事をください、と言う方が来られました。私は、「とりあえず右近ハウスに泊まって、明日、仕事に行ってください」といいましたが、その方は泊まった様子も、仕事に行った様子もありませんでした。
他にも、仕事がほしいと言って来た人がいましたが、二日仕事に行って、来なくなってしまいました。ぶら~っとして仕事をしない人、これがニートです。
私はニートの方と生活したり、話したりしている中で、彼らは友だちを探しているのではないかと思いはじめています。よく話す人が多く、電話もよくかかってきます。人とのかかわりを求めているのです。話し相手、食事相手、遊び相手、一緒に生活する人や一緒に旅に出る人などを求めて、月に四人ほどが便利屋を訪ねて来るのです。
ニートの方は受け入れてくれる人を捜しています。だからこそ、それを受け入れるために立ち上がる人が必要です。受け入れるとはどういったことでしょうか。それは「寄り添う」ことです。私は、「寄り添う事の大切さ」をひしひしと感じています。
すでに、教会でニートを受け入れている牧師もおられます。振り回されたりして困難は多いかもしれませんが、負けないで続けてほしいと思います。
神の愛をもって接していくと、ニートの方は変わります。家庭内暴力をやめることができなかった方を受け入れて、一緒に生活したことがありますが、その方も変わりました。イエス・キリストを信じて、今はサラリーマンとして働いています。主の愛を持って接する以外に方法はないと、私は思っています。神にゆだねつつ、教会がニートの方々を受け入れてくださることを願っています。