私の子育てこれでいいの!? 第2回 わたし、大丈夫?

グレイ岸ひとみ

 結婚生活に慣れるまで時間がかかって大変だとよく言われますが、赤ちゃんがひとり加わることで、夫婦関係や自分自身が受ける影響について、事前に語られることはあまりありません。心の準備が不十分なまま、ある日を境にその大きな変化に突入せざるを得ないことに、私は疑問を持っています。もっぱら、どんなに「お世話の仕方」を学んでも、育てることがいかに精神的にも体力的にも疲労の極まりの体験であるかは、実際に始まってみないとわからない現実なのかもしれませんが。

 長女が生まれた当時、実家に手伝ってもらうという選択肢がない状況で親子三人の生活が始まりました。出産で徹した一夜の睡眠不足を補うことすらできない、眠い眠い毎日でした。初めのころは、朝からパジャマのまま一日が終わることもありました。

 二時間おきのおっぱい、合間にオムツを換えたり、寝かしたり、食事をしたり。やっと寝たと思ったら、「ブーッ」とうんちだったり。オムツを換えてまた寝かせて。そのうちにお腹がすいて目も覚めて、またまたおっぱいの時間。目の回るような仕事が休みなく二十四時間続く。ほっと一息つけるのは、トイレに座った短い時間だけ。

 こんなエピソードもありました。長女が生後二か月のころ、あるパーティーで舞台に出ることがありました。名前を呼ばれたその時、寝ていたはずの長女の小さな声が聞こえました。次の瞬間、母性ホルモンのかたまりだった新米ママのおっぱいから、シャツが濡れるくらい母乳がぽたぽたと出てきたのです。「なにこれ!」トイレに駆け込むことしかできませんでした。おかしい。恥ずかしい。悲しい。「笑えるけど涙も出てくる……」。これだけ短時間に体も心も生活もあわただしく変わる体験は初めてでした。

 育児に追われている時は、”How are you doing?”(どうですか、お元気ですか?)と聞かれて、よく返事にとまどいました。”I’m fine”(調子いいですよ)、といつものように、何も考えずに答えることがどうしてもできなかったのです。

 たしかにかわいい赤ちゃんとの生活は新鮮で、張り合いのある充実したものでした。でも、疲労、寝不足、自信のなさやとまどいも隠せない現実で、どっちを答えたらいいのか分からず、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまうこともしばしば。「私に聞かないでぇ~! ほっといて!」と叫びたいのと、「お願い、聞いてよ~。よくやってるよって言って!」とせがむ思いを押し殺して、”I’m ok”なんて言ってしまうことも。

 少しゆとりが出てきてからは、「子どものことはよくわかってるし、夫の状況もある程度は知ってるつもり。だけど、自分のことになると頭の中が真っ白。自分で自分が分からない! このままでいいの?」というのがが正直な答えでした。

 私は子育ても「私らしく」、一生懸命やってきたつもり。でも子どもや夫から離れた「自分」は、孤独で、乾いて、疲れていたりする。与えられている母親としての使命感に突き進めば進むほど、いたわりを求めてくる「自分」が顔を出すのです。疲れていることにも気づかずに空虚感だけというときもあります。

 ひとりの時間をもったり、夫と二人でデートしたり、無心に買い物をしたり、無言で家事に専念したり、ボランティア活動をしたり、スポーツをしたり、趣味を楽しんだり、ママさん友だちとお茶を飲んだり……。育児とまったく関係のないこともやっては、息抜きを心がけています。子どものために「身を削る」ことが多いので、心身の充電が必要だと思うのです。でも、かえって忙しくなるだけだったり。

 「子どもの世話をすることはとっても大切。だけど、自分の人生を歩んでる姿からこそ、子どもたちは『生きる』ことを学ぶんだよ」と夫はよく言います。

 どうしたら「自分」が本当の意味で満たされるのだろうか。私は自分の人生を歩んでいるのだろうか。自分に問い続ける問題です。女性として、母として、妻として、そしてひとりの人間として生きることってわかってるようで、実は多様な役割を忙しくこなしているだけにしか思えないときもあるのです。

 子どもたちが寝静まり、今晩もやっと我が家に安らかな静けさがおとずれました。”How are you doing?”と自分にたずねてみます。「今日も疲れたぁ」。いつも同じ答え。

 ゆっくりため息をついていると、なつかしい賛美歌が心に響いてきます。

 「安けさは 川のごとく 心ひたすとき
 悲しみは 波のごとく わが胸 満たすとき
 すべて 安し み神 共に在せば」(聖歌四七六番)

 このままでいいのかなぁ、と不安も隠せませんが、不思議に落ち着きを取り戻していくのです。