かおるの雑記帳 子猫のはなし
内山 薫
日本バプテスト宣教団 池田キリスト教会会員
もう数年前になります。家の近くの公園へ夕方、ふらりと散歩に出た時のこと。入口で、ジョギングや買い物帰りの人々が立ち止まり、微笑みながら、しかし戸惑ったような表情で、地面の一点を見つめているのに行きあいました。近づくと小さな鳴き声が聞こえ、視線の集まる所に手のひらにのるほどの小さな子猫が見えました。捨て猫のようですが、見れば、歩くのもおぼつきません。全身で声をふりしぼりながら、「助けて」と言わんばかりに危なげな足どりで一人、また一人と順繰りに人々の足元にすり寄っていきます。が、誰もどうすることもできず、やがて一人二人と立ち去って行きました。
子猫は私の足元にもすり寄って来ました。その時、私は思わずその子猫を抱き上げてしまったのです。それは本当に子猫を思ってというよりも、ただ可愛い生き物を愛撫したいという欲求から出た安易な行動でした。が、そんなまがいものの気持ちとは裏腹に、子猫の方は文字通り自分の存在をかけて必死にしがみついてくるのです。途端、私の中にさっと戸惑いが広がりました。こうして抱き上げてはみても、団地の我が家に連れ帰ってこの子を育てるわけにはいかないということに改めて気づいたからです。そして、セーターに爪をたててしがみついている子猫を引き剥がすように、また道の上におろしました。
再び捨てられた子猫は、二度と私を見ようともしませんでした。くるりと背中を向け、側を通りかかった女の人について、またよたよたと歩き始めたのです。私は半ば呆然と、罪をあばかれた裏切り者のような気分でその姿を見送っていました。生半可な優しさ、それが本当の「愛」でないことを、あの小さな生き物は本能的に感じ取っていたのですから。
この経験は、責任のない安易な親切を戒める苦い教訓として、以来、胸の痛みと共に心に刻まれています。そしてあの時のことを思うにつけ、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル13:5)という御言葉の深さを思います。神様の愛は、ご自分の命を投げ出すほどの真剣さで、いつも私たちに向かって注がれているのだということをです。