ビデオ 試写室◆ ビデオ評 114 あり得ないたとえ!
DVD「こいぬのうんち」Part1
古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師
「あなたの大嫌いなものを3つ言え」と言われたら、私の場合、必ず入るのが「犬の落し物」です。教会の前に毎日のようにされたことが、1年近くも続いたことがありました(嫌がらせだったのかもしれません)。毎日代わりに始末させられているうちに、ノイローゼ状態になって、頭から消えなくなってしまいました。誰かにその苦しみを聞いてほしいと思っても、聞いた人も気持ち悪くなってしまったり、怒ってしまうので、誰にも話せなくて死ぬほど苦しみました。でも、誰もが嫌いなものだったおかげで、市役所への抗議が聞かれ、指導が厳しくなりました。とにかく、これほど誰からも嫌われているものはないでしょう。
「自分はダメだなあ」と思っている人を寓話的に表す素材として、今までは、花や木や、動物や、雑草などが使われてきました。しかし、それらは、一応そこにあっていいものです。ただ、バラと比べてスミレが、大木に対して小さな木が、鷲に対してスズメが、比較して劣等感を感じるというプロットでした。しかし、「犬の落し物」は、不潔で、伝染病の原因になり、必ず始末されなければならないものです。でも、それさえも、自然の生態系(エコシステム)の中では、必要なもので、ちゃんと存在の意味があるということ。これは、感動的なことです。「神様は、意味もなく何かを作られないよ。君にも意味があるよ」というメッセージが、この作品のテーマです。
ただし、やはり不潔で、子どもが触ってはいけないもの、捨てられるべきもの。町の中では存在が制限されなければならないものです。ですから、小さな木や、弱い雀にたとえられる人はいても、「うんち」にたとえられていい人は、一人もいない気がします。
それでも、この作品の作者クォン・ジョンセンがあえてその極端な題材を使ったことに、大きなメッセージを感じます。私は今でも、「犬の落し物」を見てしまうと、つらくなり、ひどい苦痛を感じます。それなら、聖い神様が人間の罪をご覧になるとき、そこには、どれほどのつらさと苦痛があることでしょうか! 「神が罪人を愛する」ということは、実は、大変な苦痛を克服しなければならないことなのです。それをあえてしようとする神の決心が、十字架の苦しみとなりました。この愛の大きさを指し示すために、あえてこの極端な嫌われ者の主人公「こいぬのうんち」が、かわいい、愛されるべきキャラとして、この作品の中心に置かれているのかもしれません。次回はその作品の内容に迫ってみましょう。