みことばを白衣の下にまといつつ 第2回 平和の道具
斎藤真理
内科医
必携品
幼心に覚えている朝の日常。母は、父の靴を磨いて玄関にそろえていた。「定期は? お財布は? ハンカチは?」といつも聞いていた。仕事人の必携品だ。最近の私といえば、車通勤だからか、カバンになんでも詰めこんで安心している。傘や扇子、コンビニ袋、裁縫セット、ハンドクリーム、電子辞書、臓器提供ドナーカード、人間ドックの結果まで……私なりのこだわり品目。
大切な宝物も携帯している。祖母が残してくれたもの。お棺に入れて、と自筆した「讃美歌二九四番」。一枚のコピーから祖母の信仰が聞こえる。私の手をひいてくれている多くの手に思いを馳せる。前へ進むエネルギーが伝わってくる。
『みめぐみゆたけき主の手にひかれて』
フェルメールの「マルタとマリヤの家のキリスト」という絵をご覧になったことがあるだろうか。この絵に描かれた主の右の掌は上を向いてマリヤの方へ伸びている。右手が絵の中央で物語っている。一方、アイコンタクトはマルタへ向かい、距離もマルタに近い。掌を上に向けるしぐさは、本心をうちあけるとき、相手の警戒心を緩めるときに自然と示されると、心理学の本で知った。先日の礼拝で、牧師が説教中、何回も両手を広げて掌を会衆に向けており、印象的だった。特に、盲人の目に泥を(手を使って)塗られた主の癒しの話であったから。
キリストの手。その手に、私は釘を刺した張本人なのだ。私は十四歳のとき、その自覚におののいた。今も同じで、十字架上の主の両手を思い描くとき、私の痛みの中枢がうずく。そのEmpathy(共感)が私に、救い、癒し、希望を教えてくれる。
医療現場で求められる温かな手当て
果たして、医師の仕事は、適切な「手」当てになっているのだろうか? 医師は最先端機器を駆使し、新薬を組み合わせて治療していく。医学生として心臓外科の手術場に初めて入ったとき「ああ、動いている心臓や肺に人間の手を加えていくなんて、こんなすごいことを神様は許しているのですね」と圧倒された。私にとっていちばん温かくてありがたかった手当てがある。
新米だった私は突然腹痛を起こし、仕事を中断して当直室で横になっていた。先輩ドクターが心配し来てくれて、自分の娘さんにするかのように、おなかに手を当ててくれた。すると、どんな薬を飲んでも注射をしてもおさまらなかったのに、すーっと楽になった。そのうえ先輩は、汚したシャツまで洗ってくれたのである。
私もいつしか手をさかんに使っている。患者さんが痛いというところを触ったり、臓器が腫れていないか確かめたり。悪い結果を伝えられてしょげている患者さんにも、自然と手を用いていることに気づく。
ガウン姿で処置する医師夫妻に憧れて
夜中にウチの前で交通事故がよくあった。そのたびに、お隣に住むドクター夫妻がガウン姿で飛び出してきて、ガラス片が顔に刺さり血だらけの運転手に応急処置をするのを目撃した。子どもの私には二人の姿が強烈で、「ああいうことができる人間になりたい」という夢をくれた。
かたや父母は、妹の高熱時には「みんなで祈ろう」と長々とお祈りをしていた。食事の前以外にはめったにないことなので、親の不安が伝わって恐い気持ちになった。
交通事故のとき、ウチができることは一一九番をかけるだけ。救急車のサイレンが聞こえるまでが長かった。ただ待っているしかなかった。
自らの手で、実際に行動できる人になりたい、と強く思うようになった。
癒しの業にこの手を
「とても痛がっているので、診に来てください」と連絡があった病棟へ真っ先に行く。初対面のその人は激しい痛みで身体をくねらせている。「痛いところはここかな?」。手で触って、顔を覗き込む。モルヒネの注射を開始する。廊下で意識が朦朧として崩れ落ちそうになっている患者さんを見つける。脇を腕で抱え、「どうしました? どこの病棟の患者さん?」と支えて、車椅子まで運ぶ。部屋を探す。
エレベーターの奥に、産休明けのナースを見つけ、(わーっ! 元気にまたちゃんと戻ってきたんだね)と右手を思いきりふる。
道具を使う手、と言うより、この手そのものが道具になっている。願わくば、癒しの業にこの手を使い続けていただきたい。平和をもたらす道具としても。
さらに、「前へ進め」との声が聴こえてくる。