『小林和夫著作集』刊行に寄せて
全10巻シリーズの第1巻を今春配本! 「すっげえな、聖書は! みことばは!」
村上宣道
太平洋放送協会 理事長
「すっげえな、聖書は! みことばは!」
小林先生とは、一九五二年東京聖書学院に入学したときからの付き合いで、初めて見たときから「キレそうな奴だな」と思っていました。ふたりとも高校卒業してすぐの入学で、歳が同じということもあったのですが、それよりも不思議にピピッとくるものがあり、すぐ親しくなりました。信仰的にも相通じるところもあり、ふたりで「イエス様のためだったら、命を懸けようぜ!」とよく言っていました。そういう面では、いい仲間ができたなっていう思いでした。互いの生涯を懸けるに値するこの道に、共に踏み出したことは、本当にすごいことだと今でも思っています。お互いにないものを持っていて、一緒にチームとしてやることによって啓発される部分があり、主にある友だちになれたことを、ふたりして感謝していました。なんだか知らないけれども気が合って、何をしていても一緒にいたら楽しかったです。
神学生のときに特に印象に残っているのが、彼の賛美している姿です。その一生懸命さ、賛美に対する姿勢を見たとき、「この人は、本当に救いの喜びを持っている人だ」と感動しました。もちろん彼も人間ですから、色々な欠点があったりしますが、こいつとならずっと友だちでやっていけると思ったことを覚えています。そして毎日、「聖書ってすごいな! 今日はここから教えられた」とみことばに感動し、発見し、私に分かち合ってくれました。私はそんな彼から、聖書が解き明かされていく醍醐味というものを学びました。
勉強の面でも熱心でした。ギリシャ語、ヘブル語をまだ習わないうちから勉強し始めて、自分独自の活用表を作ったりするなど、聖書を深く読みたい、聖書を原語で読みたいというところから、学びに取り組むような人でした。けれども、勉強ばかりの頭でっかちというようなタイプではなく、路傍伝道、児童伝道などの実践においても、彼の中にはたぎるような情熱があり、火を吐くような強烈なメッセージ、証しをしていました。
彼の中には、学びながら、また祈りながら常に内にふつふつとしたものがあり、そういうものを語りたいという思いがあったんだと思います。仲間うちでも、「次の説教は誰がする?」っていうことになると、かならず「俺にやらせろ、これを話したい」と言って、引っ込み思案な私からすれば、本当に不思議な奴でした。そしていつも「伝道って楽しいよな。いいよな」ということ言っていました。祈り、勉強、実践、非常にバランスのとれている人だとそのときから思っています。
彼の語るメッセージは、いわゆる話術が上手いとか、おもしろおかしくして人を惹き付けるというものではなく、彼の内側からほとばしり出るようなパッションを聞く人が感じるというものです。それは、大人でも、子どもでも関係なく、聞く人みんなが感じ、そして惹き付けられていると思います。
私たちが敬愛する当時の東京聖書学院長の車田秋次先生がいつも言われていたことばで、彼も好んで使っていたものにこういうものがあります。「みことばが打ち開かれれば光を放ち、愚かなるもの悟からしめ」。自分で聖書を読み込む、説教のために読むとか、自分の神学的考えを裏づけるために読むということではなく、みことばのほうから光を放ってきて、そして今まで知らなかった世界、自分自身の本当の姿が見えてくる。その中から聴いたことばを語る、これが小林先生の説教に対するスタンスです。
彼が神学生時代に感じていた「すっげえな、聖書は! みことばは!」という、その驚きは五十年以上経った今でも全く変わらず、その驚き、感動をもって、しかし釈義に基づき、聖書全体の中でその箇所を捉えていく。そういう意味で、彼の説教は非常に健全なものだと思っています。
今回の著作集は、読むことで彼の情熱が十分伝わり、知的な内容もあり、たましいへの愛の配慮も感じられ、みことばへの驚きをそこから汲み取ってもらえると思います。読む方々の心にみことばの光が差し込み、その驚きのなかで眼が開かれることを願っています。