ブック・レビュー 絶望と孤独の「老い」ではなく
神の恵み、祝福に気づかされ

 『改訂新版  老いること、死ぬこと 』
山中 猛士
筑紫野二日市キリスト教会 協力牧師

「老いること、死ぬこと」は、受動ではなく、能動態を示している。もちろん、何もしなくても老いるし、死は向こうからやってくる。ただ、ほかの動物と違って、人は抗いながらも自分の老い方や死に方を模索する。そのとき初めて、深い絶望と孤独に陥る。
判断の基準がなく、模範もない。あわてて真剣になり、怖れ、罪と罰、諦観、救いなどを想う。
本書はそのような求道者からそのような求道者へ、手広く、謙虚に、良心的な資料と具体例を紹介する。
著者の鍋谷堯爾、森優の両氏は、ともに神学博士で牧会者。鍋谷氏は若くして肺結核を患い、森氏も幼いころに近親者の臨終を目の当たりにし、死の恐怖におののき、死に方=生き方を最も重大な課題として、古今東西の文献に問い続けてこられた。
その結果、キリストを受け入れ、聖書の中に神の奥義を求められた。同時に七十五歳で故郷をあとにしたアブラハム、八十歳で家庭的平和を捨てて出エジプトの大業に乗り出したモーセ、律法のチャンピオンから福音の奴隷に転身して世界を駆け巡ったパウロなどを聖書の中で見つめ、聖書時代に生きたアウグスティヌスや、マルティン・ルター、石原謙などの先達の中に範例を見いだし、読者の前に展開する。そのため本書は、聖書の深い読み方の教本となり、また死に方=生き方のすぐれた手引書となっている。
本書は、現代日本社会の諸問題から入り、超少子高齢化、グローバリゼーション、家や村の消滅、死の判定基準の多様化、医療の機械化、葬儀の簡便化などを論じる。
世の習わしにはそれなりの対応が必要だが、著者たちの主眼はむしろ、その背後の目に見えない神の愛と恵み、福音の真理にあり、感謝をもって「新しいいのち」に生きることを唱道する。そこでは、老いることは鷲のごとく若返ることであり、死ぬことは永遠によみがえることなのだ。
「死ぬことは、感謝の行為といってもいいのではないかと思います。お預かりしたいのちを、つつしんでお返しするような、敬虔さがあるでしょう」(一五三頁)