教会の記録を残そう
『教会アーカイブズ入門』のススメ 第1回 教会アーカイブズと聖書
山口陽一
東京基督神学校校長・東京基督教大学教授・日本同盟基督教団牧師
二〇一〇年六月、私たちは『教会アーカイブズ入門』という本を、いのちのことば社から出版しました。
内村鑑三の研究で知られる鈴木範久氏(立教大学名誉教授)は、アーカイブズということばがまだ定着していない日本で「教会アーカイブズ」と「教会」まで付したところが大胆なほど新鮮! と推薦してくださいました。花園大学の師茂樹氏は、『ミニストリー』(二〇一〇年秋号)の書評で、「アーカイブズ構築の意義をこれほど明確に説いている入門書は見たことがない。アーカイブズとは元来、キリスト教的な精神に則ったものではないかとさえ思えてくる」と紹介し、『深き淵より ―キリスト教の戦争体験』の著者である安藤肇牧師は、「豊富な実際的経験と実例を提示しながら誠に『痒いところに手の届く』専門性と資料への深い愛をもって書かれた、この分野の先駆的・開拓的な好書である」と評してくださいました。
同年十二月に行われた賀川豊彦記念館での出版記念ワークショップにも、三十五人の方々が関心をもって参加してくださいました。決して大反響とは言えませんが、日本の教会にとって大切な書物であるとの静かな評価をいただき、このたび、五人の執筆者が本誌の連載で「もう一言ずつ」書かせていただくことになりました。
教会アーカイブズとは何か
そもそも「教会アーカイブズ」が何かと言えば、教会の記録と記録の保存あるいは活用に関するすべてのことです。洗礼(バプテスマ)や転入会の記録、信仰告白や教会規則、礼拝と伝道の記録、週報や月報、役員会や総会記録、写真や録音、ほかにもいろいろあるでしょう。
たまる一方のこれらの記録をどのように整理し、保存するのか頭を悩ませている方々も多いのではないでしょうか。『教会アーカイブズ入門』には、「記録と保存と教会史編纂のために」という副題をつけ、各教会で教会史を執筆するための手引となっています。実際のところ、各教会においては、このあたりの必要性が最も高いと考えたからです。
けれども、その前提として何より願ったことは、教会として記録を残す意識を持ち、またその記録を生かす教会となってもらうことでした。日本のプロテスタント教会は、歴史的自覚が浅いという認識があるからです。キリストの教会の土台は、聖書という神の啓示の記録です。時空を超えて一つである教会は、歴史的な経験を共有し、励まされたり反省したりしながら現在を歩んでいるのです。各教会は、常にキリストの体である一つの教会の部分なのです。信仰が内面化して社会性を失うと、歴史記録に対する意識も低下しがちです。逆に公同の教会に連なり、公共社会に貢献する教会は、公的な記録を残す責任を自覚するとも言えるでしょう。
記録の原点は「聖書」
記録を大事にするということは、それを誇り、それにより頼むということではありません。日本プロテスタントのわずか百五十年の歴史を伝統として誇るとか、貴重な史料を宝物にしようとするものではありません。それは、主の恵みの記録であり、主への感謝と悔い改めの共有にほかなりません。
旧約聖書の「ジェネシス(創世記)」は、「これは天と地が創造されたときの経緯である」(2・4)という箇所に用いられている「経緯(トーレドート)」のギリシヤ語訳から来たことばです。経緯・歴史・系図と訳されるこのことばは、「これはアダムの歴史の記録である」(5・1)、「これはノアの歴史である」(6・9)、「これはテラの歴史である」(11・27)というように、創世記の十の区切り目に使われています。まさに歴史的啓示です。
また新約聖書は、マタイの福音書の系図から始まります。「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図……」。無味乾燥な書き出しでしょうか。いいえ、これこそ歴史を貫いて約束を成就される神の真実の記録なのです。ルカは、「すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います」(ルカ1・3)と、聖霊に守られてアーカイブズを用い、初代教会の歴史を記しました。
聖書こそ「教会アーカイブズ」の原点なのです。
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次回は、鈴木範久氏のことばを借りれば「アーカイブズの現場のプロ中のプロ」、元国文学研究資料館史料館長の鈴江英一氏が執筆してくださいます。
その後、埼玉県立文書館主任学芸員の新井浩文氏、賀川豊彦記念松沢資料館学芸員の杉浦秀典氏、東京基督教大学図書館司書の阿部伊作氏が続きます。ご期待ください。