教会の記録を残そう
『教会アーカイブズ入門』のススメ 第2回 教会史編集の前に
鈴江英一
北海道立文書館員、国文学研究資料館史料館教授・館長、 北海道教育大学教授を経て、現在は、自称「教会アーキビスト」
教会史ができない!?
二〇一〇年にいのちのことば社から出版した『教会アーカイブズ入門』の第二章は、「三年あれば教会史はできる」でした。それで筆者の私に、何人もの方が疑わしそうに言うのです。「本当に三年で教会史ができるの?」
でも、この章の事例になった『札幌元町教会四〇年史』は、三年でできましたし、ちょうどいま刷り上がった『「靖国問題」北海道の四〇年―これからも共に』の主要部分は、運動四十年の歩みという歴史ですが、これもなんとか三年かけてできたところです。どのようにしたら三年でできるかは、『教会アーカイブズ入門』を見ていただくことにして、なかなかできないとしたらそれはなぜでしょう。
いくつか原因はあるでしょうが、代表的な原因を挙げることができます。まず教会史は、誰かがある期間(つまり三年!)集中しないと、いつになってもできないもののようです。教会史はあったらよいなとだれもが思っても、教会はみんな忙しいので、つい先延ばしになってしまいがちです。ここは誰かが心を決めて始めることです。
もうひとつは、教会史のための資料がいっこうに整理されていない状態にあることです。教会史編集のための資料の目録ができていない、いやそれどころか記録が山積みになって取り出すのも難しい等々です。記録そのものが残っていないという嘆きも聞こえます。確かにその現実を聞くと、私もつい「三年は難しいかな」と思ってしまいます。
アーカイブズ以前
「三年でできる」という私の前提は、教会が「自らの記録」を残していて、資料の整理がされている状態にあることです。もしそれがなされていないのなら、まず資料の整理からはじめようという勧めです。教会史編集に取りかかる前に、教会の資料の全容が明らかにされて、誰もが分かるように、また使えるようにしておく必要があります。それができていなければ、教会史に向かう、はやる気持ちを抑えてでも、資料整理という基礎作業をはじめたほうが、教会史に取りかかるための早道です。
しかし、もしかしたら、記録そのものが残っていないということがありませんか。たとえば教会総会の議案・報告書と議事録、役員会議事録、週報、各委員会の記録、洗礼台帳、教会員原簿、教会規則、教会財産の登記書類などはそろっていますか。それらは、教会の存続のために当然備えられるべき書類であるか、日常的に生み出される記録です。それが継続して作成されているか、保存されているかどうか、教会史編集ならずとも点検の必要がありませんか。資料の目録を作ってみるとそれが分かるかもしれません。
役員会議事録も作成されないまま、何年も過ごしたということもないわけではありません。教会はかなり記録を生み出すところです。にもかかわらず、行事が終わったら記録が残らない、残さないことが起こりがちです。教会資料をアーカイブズとして永年に保存する以前の問題があるようです。
教会史編集以前に資料の整理が、整理以前に記録の作成と保存がどうなっているか、点検してみてはどうでしょう。
記録が抜けている
教会の記録は本来、年々積み重なっていて、残しておけば事柄を時系列的にたどることのできる性質のものです。戦災や災害に遭わなければ、残っているはずです。
もし残っていないとしたら、これから日常的に記録を残す工夫が必要です。たとえば、記録をアーカイブズ(教会資料)として永年保存する場所を作る、教会員へ配付した印刷物は必ず保存する、各委員会は会議の記録を必ず作る、委員会の記録は全部役員会に報告する、記録管理の担当委員を置くなどです。記録は、教会史に必要なばかりではありません。教会と教会員にとっていわば公共の財産です。
教会史を編集するなら、記録がどうなっているか、教会の皆さんで一度、現状をご覧になってみてはいかがでしょうか。整理が必要となったとき、多くの人でその作業を分担できることは、教会にとって幸せです。
何が残っていて、何がないか、資料の残り方は、教会史の中味にじかに影響します。もしある時期の役員会の記録や週報が残っていないとすると、その間の大事なことが教会史から洩れてしまうかもしれません。資料の空白が歴史の空白にならないように、気をつけたいものです。資料の空白を埋められなければ、せめて、空白があると覚えて教会史に取りかかりたいものです。
それらのことができたなら、あなたの教会は教会史への入り口に立っているのです。