教会の記録を残そう
『教会アーカイブズ入門』のススメ 第4回 記憶の記録化・オーラルヒストリーのススメ

杉浦秀典
賀川豊彦記念松沢資料館 学芸員 野方ウェスレアンメソヂスト教会牧師

「主は私に答えて言われた。幻を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使として走るために」(ハバクク書2・2)

◆賀川豊彦の「活動記録」

私が学芸員を務める賀川豊彦記念・松沢資料館は、牧師であり社会運動家であった賀川豊彦を記念して一九八二年に創設されました。賀川豊彦の活動の軌跡を、資料を通じて、正しく後世に伝えることを目的としています。賀川豊彦は、ロンドンの最貧地区で隣保事業を行った牧師サミュエル・バーニットや、経済学者アーノルド・トインビーの働きに感銘して献身し、数々の功績を残しました。
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賀川豊彦の活動で特に注目されるのは、一九二九(昭和四)~一九三一(昭和六)年にわたって行われた、全国的な大衆伝道「神の国運動」です。今で考えられませんが、当時全国で延べ七十九万人を動員しました。各地の教会の協力を得て、しかもユニークなことに、うどん一杯分の入場料を徴収して開催されましたが、どの会場も満員となりました。一か所で数千人が来場し、数百人が決心するという、まさにリバイバル運動とも言える現象が昭和初期に起きていたのです。
これらはすべて、同行した黒田四郎牧師が、克明に記録していました。ですから当時の会場、講師、参加人数、そのほかの情報は今日でも詳細に辿ることができます。
またもう一つ賀川豊彦の注目すべき活動は、関東大震災での救援活動です。震災の知らせを受けた賀川は、いち早く神戸から駆けつけ、行政からの救援が行き届かない下町地区を拠点に、ボランティア仲間らとともに「本所基督教産業青年会(IYMCA)」というセツルメント事業を立ち上げました。そのとき、賀川に同行した若者の一人に、後に牧師となる深田種継という青年がいて「宗教部日誌」という公的な活動記録を書き記していました。それにより、当時の賀川豊彦と周囲の人々が、どのような救援を行ったのかがわかり、賀川らの活動が歴史化される道を開きました。
これらは、同時代の記録によって、後世まで正確な歴史情報を残すことが出来た事例です。

◆オーラルヒストリーを残す

しかしながら、今日の教会の出来事を、だれもが克明に書き残してゆくことは、それほど容易ではないでしょう。ある程度の間隔で、年史などに重要なトピックを掲載できれば望ましいのですが、むしろ記憶を頼りに、口頭で伝え合うことが多いのではないかと思います。もちろん、くり返し周囲に語っていけば、ある程度は受け継がれることもあります。例えば、先輩信徒の体験した出来事が、間接体験として共有されるほどに語り継がれるなら、出来事を残すことが可能かもしれません。
しかし、当然のことながら人間の記憶はやがて薄れていきます。記憶に含まれる多くの固有情報は序々に失われ、時間の彼方に埋没してゆきます。あるいは、別な情報が付加されて、やや事実と違う出来事になることも起こり得ます。ですから、なるべく早い時点で書き残して文字化を行えば、より正確な事実を残してゆけます。それは、必ずしも本人ではなく、だれかほかの人が行えばいいのです。
こういった作業を専門的には「聞き書き」、もしくは「オーラルヒストリー」と言っています。誰かの「記憶」をみんなで共有できる「記録」として書き出してゆくことを指します。〝記憶の記録化”と言えば、分かりやすいでしょう。
「神に導かれ、夢と理想に燃えた開拓期から、艱難辛苦の成長期を経て、神と地域に愛される教会へと成長を遂げていった……」
きっとどの教会にも、語り継がれる感動の物語が共有されているかと思います。それは、会員相互の信頼と兄弟愛をつなぐ大切なものとなっているに違いありません。
でもやがて数年、数十年と経てば、人々も変わり、物語りの共有が希薄化し、正確に語り継いで行くことが困難になることが予想されます。ですから、まだ記憶が鮮明なうちに、公的または個人的にでも〝記憶の記録化”を行っていただきたいのです。それにより、出来事が歴史化されてゆきます。教会、教団、教派内のみならず、地域の歴史としても、世界に向けて信仰を証し続けてゆく道が開かれるのです。
冒頭の賀川豊彦らは、記憶に任せず、記録によって諸活動を歴史化していきました。
現代に生きる私たちも、過去と現在の記憶が失われてゆく前に、しっかりと記録化を行っていきたいと思います。やがてその積み重ねから、未来のビジョンが与えられると私は信じるからです。