時代を見る目 214 3・11――あの日の記憶、そして今 [7]主の山には備えあり(1)
村山勝德
栗駒高原バプテスト教会 伝道者
介護いつくしみの家 施設長
私は、宮城県栗原市にある保守バプテスト同盟所属の「栗駒高原バプテスト教会」伝道者です。2005年7月1日、宮城県より通所介護の認可を受けて、老人通所介護施設の運営を始めました。福音宣教の一環で、老人福祉を通して地域に「神の愛」を実践したいと思ったからです。施設の名称は、賛美歌の「いつくしみ深き」より「介護いつくしみの家」と名づけました。スタート1年目は、職員3名と利用者5名ほどでした。しかし、2年目に実費のみの「お泊りサービス」を取り入れてからは、利用者の人数も増えだし、スタートから5年目には、施設も3か所となり、現在は利用者78名、職員53名になっています。
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2011年3月11日午後3時過ぎ、突然、家が、がたがたと大きく、左右に、上下に揺れだしました。私は家族と自宅にいましたが、すぐに皆で外に飛び出しました。外では、地面にしゃがみ込む者もいれば、やっとのことで立っている者もいました。自宅の建物は大きく揺れて、倒れる寸前でした。地震は数分間にわたり続いたので、まさに「この世の終わり」が来たと思いました。栗原市は震度7の大地震でした。
すぐに、老人介護施設3か所の安否を確認するために巡回に行きました。建物も利用者も職員も無事でした。しかし、ほっとするのもつかの間、電気、水道、電話などがすべて使用不能となりました。70人ほどのお年寄りの方々は、各自の家族が被害を受けているため、誰ひとり自宅に帰ることができません。むしろこのような非常事態の時こそ、お年寄りの方々を施設にお願いしたいというのが家族の本心でした。
当施設は非常時に備えて、1週間分の水や食料を備蓄していました。しかし、スーパーの食料品は品切れになり、1週間経っても、電気や水道や電話が復旧しない中、自動車のガソリンも購入できなくなり、職員の中には出勤できない者もあらわれ始め、利用者70人ほどの介護は人手不足となってきました。私を含めて、5名の職員がクリスチャンでした。皆で、神様に助けを祈りました。