時代を見る目 220 私の出会った子どもたち [1]「いじめ」を考える

竹本克己
元 千葉県小中学校教諭
北海道教育大学 教職大学院教授

中学1年のM男は、家族に理由も言わず自分の部屋に閉じこもってしまい学校に行かなくなった。担任だった私は毎日家庭訪問をして、3日目にやっと部屋に入ることができ、M男は長い時間かけて私に話してくれた。
放課後、クラスの数人の女子がM男を囲み、ほほにあざのあるM男のことを「アザ男」とからかい、抵抗しないM男へのからかいはエスカレートして、無理矢理ズボンをおろされてしまったという。M男は女子の名前を言わない。私は瞬間、H子を思い浮かべた。M男を学級に戻すためにも、M男のつらさ悲しさ怒りを私が代わりになってH子にぶつけなければいけないと思った。私はM男と作戦を立てた。
「誰がやったか言わなくていいから、M男が勇気を出して学校に来る。犯人は出てこないかもしれないが、二度と同じことが起きないように、みんなの前で私が思いっきり怒る」
M男は翌日登校してきた。私は力の限り、怒りを爆発させた。
「先生は許さない。私はM男の悔しさを思うと絶対許せない。体罰は法律で禁止されているが、先生は、教師をやめさせられてもいい。M男の心を傷つけた者への罰としてひっぱたく。自分だと思う者は教室の後ろに立て!」と叫んだ。一人の女子がすっと席を立って教室の後ろへ行った。
H子ではなかった。S子だった。続いて数人の女子が教室の後ろに並んだ。私の心に動揺が起きた。並んだ女子にカバンで顔をガードさせ、私は宣言通り(頬をガードしている)カバンを思い切りビンタした。カバンの金具が手にあたり、数人をビンタした私の手は真っ赤に腫れていた。ビンタされた女子も、教室の子どもたちも泣いていた。彼女たちは、泣きながらM男に謝った。

*    *    *
2年後の卒業式の日、M男が両親と職員室に来て「1年生の時はありがとうございました」と挨拶してくれた。S子は、高校に入って柔道部で活躍し、結婚したときには、彼との写真を送ってくれた。
大人は、見たくないものは見ようとしない。忙しさを理由にして、見たいものだけを見ようとする。何を見ようとしているのか。自分の立場か、自分のメンツか。子どもに「こう育て」と教育する大人は家庭にも学校にも教会にもいるが、どこまで真剣に子どもの心の叫びを聞こうとしているだろうか。