春の「限定復刊」がスタートあの名著をさわり読み! ■キリストの戦士として生きる

試練、苦難に直面したとき、自分が何に信頼を置いていたのかがあらわになる。それは神を信じる者であっても同じであろう。私たちは口で言っているほどに、神に信頼して歩んでいるだろうか。エミー・カーマイケルの著作からさまざまな文章を抜粋し、収録した『御翼の陰に隠されて』は、そんな問いを投げかけてくる一冊だ。〈編集者Y〉

「ふるさと」に帰る
祈るときに気が散ってしかたのないことがあります。いちばん大切なことから心がさまよい出て、遠く離れてしまうためにそうなることが多いのだと思います。それで、すぐ邪魔が入ってしまい、集中できなくなるのです。
「ふるさと」に帰って、そこで生きることを学ぶ必要があります。
「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」(使徒一七・二八)。ということは、つまり神がわたしたちのふるさとだということです。
わたしの心のふるさとよ、
わたしのあがないのため
どれほどの犠牲が払われたかを
忘れることのないようにと、
朝まだき、まず思いを注ぐべきは
ひとえにあなたのカルバリのみ。

これらの言葉は、ほかの何よりも大切なことに、心を集中させます。もし日々の慌ただしさのなかで見失ってしまうならば大きな損失となる、そういうもののことを語っているのです。
カルバリを真剣に見つめさえするならば、思いもかけないほど祈りの生活が豊かにされることを、わたしははっきりと知っています。
―『主の道を行かせてください』より

わが父よ。内なる声がわたしに語ります……思いを集中する生き方ができていないではないか、と。
今わたしの目を十字架に注ぎます―あの荒削りの木に……わたしがみそばに行くための、ただ一つの橋となったあの十字架に。
そしてその十字架のかなた、父なる神のかたわらに座したもう方に向かって、わたしは目を挙げます。父よ、わたしは帰ります。あなたの隠れ場に身を隠します。

『御翼の陰に隠されて』
エミー・カーマイケル
ディヴィッド・ハザード 編

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