神様がくれた風景 3 卒業式
やまはな のりゆき
卒業式をテーマにしてみました。「卒業」と聞くと、甘酸っぱい記憶が閉じた瞼にじんわり浮かぶのではないでしょうか。私は男子高校出身で、そこは正直好きな環境ではなく、一日も早く出たいと毎日願っていたので卒業式には実に晴れ晴れした気分でした。
子育てをしていると、子どもを通して自分が経験したことのないことが経験できるという恵みと、自分が経験したことをもう一度経験できるという二通りの恵みをいただきます。親として経験する卒業式には、自分が体験したものとはまた違う感動が用意されています。成長したわが子を見る感動。そして、ここまで子どもを育てた自分、偉い! という感動。卒業生たちの力強い歌声は、この日、一つ荷物が肩から降りた親たちの胸に深くジンと響くのです。
太陽と月と地球が一直線にならぶ新月や満月の日には、大潮となります。潮の満ち引きが最も大きくなるのです。様々な体験と感情の満ち引きを経験し、念願の卒業証書を手にした若者たちにとって、この日は希望に胸がいっぱいに膨らんだ、まさに大潮。景気だ、経済だ、成長だと、一方で大人たちは株価の満ち引きに気を奪われている。景気の回復ばかりに感心が集まる今、日本全体が少しあさましくなっていないだろうか。2011年のあの日から、この国にとって3月は特別な月になったことを忘れてしまった人はいないだろうに。春の若芽に、澄み渡る春の青空に、学び舎を去る若者たちの輝きに少し目を留めてみよう。
“Boys, be ambitious in Christ”と言ったクラーク博士は、自身が札幌農学校を去る別れの際に、このことばを残したそうだ。
雪解けの春の足元のぬかるみも気にならぬほど遠く未来を見据える彼らに、イエスの道を語ろう。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)。聖書は人生の地図なのだと。
卒業おめでとう。