つい人に話したくなる 聖書考古学 第7回 埋葬は二度行う!?!?

杉本智俊
慶應義塾大学文学部教授、新生キリスト教会連合(宗)町田クリスチャン・センター牧師(http:// www.mccjapan.org/)

Q 当時は、どのような埋葬をしていたのですか?

日本ではかつて「土葬」も行われていましたが、現在では「火葬」後に、骨だけを骨壺に入れて、墓石の下に納めるのが一般的ですね。
当時のユダヤ社会では、墓に一年ほど遺体を安置し、骨だけになるのを待ち、その骨を「オシュアリ」という骨箱に入れる「再埋葬」―二回にわたる埋葬形式が一般的でした。骨を保つのは、〝復活信仰”とかかわりがあります。復活を信じる彼らは、骨がないと復活できないと考えていたのです。世界でも、クリスチャンで火葬を行うのは、日本と韓国ぐらいですね。
また、遊牧民としての習慣でもあります。夏と冬で別の場所で暮らす人たちは、その場で遺体を葬り、のちに骨だけを回収して、家族の墓に「再埋葬」したのです。
旧約聖書で、父ヤコブが子どもたちに「私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。……そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った」(創世記49・29、31)と語っています。埋葬は、亡くなった時期とは別に、葬儀の時となるのです。
イエスが十字架で亡くなったとき、アリマタヤのヨセフたちはユダヤの埋葬の習慣により、「没薬とアロエを混ぜ合わせたもの」を遺体に塗り、「香料といっしょに亜麻布でまいた」とあります。「およそ三十キログラム」も用意された「没薬とアロエを混ぜ合わせたもの」は、遺体の腐臭を消すために全身に塗られたのでしょう。
その後、イエスの遺体は、「まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓」(ルカの福音書23・53)に葬られました。これが最初の埋葬です。ユダヤも日本と同じように、家族や親せきの骨を同じお墓に代々収めるのが一般的なので、あえて、「まだだれも葬ったことのない……墓」と書かれたのでしょう。
Q 当時のお墓はどのようなものですか?

一般的にはほら穴で、入口は小さいです。エルサレムは石灰岩の土地なので、石灰岩の壁を掘って造りました。現在、何百ものローマ時代の墓が、旧市街周辺から見つかっています。
二部屋構造で、入ってすぐの前室に人々が入れるようになっています。続く奥の部屋が、遺体を安置する部屋です。二つの部屋は、かがんで通るような小さな穴で繋がっていますが、この構造は、奥の部屋に外気を入りにくくさせ、気温や湿度を安定させるためでしょう。
遺体を安置する奥の部屋には、壁を掘り込んで、棚のようなもの(「コヒム」とか、「アルコソリ」と呼ばれます)を作ります。遺体は、棺に収めるのではなく、直接その棚の上に置かれました。近くには、再埋葬用のオシュアリや骨をまとめて置けるような小部屋も掘られました。
人間の骨の中で一番長いのは大たい骨です。四、五十センチあり、「オシュアリ」は、その骨が収められるような五十センチぐらいの大きさの四角い石箱で、これもエルサレムの石灰岩―エルサレム・ストーンで作られました。
石箱の側面には、模様が彫られたり、遺骨の主の名前が書かれたりします。大祭司カヤパの家のオシュアリや、イエスの兄弟のものとされるオシュアリも見つかっています。イエスの兄弟ヤコブのオシュアリは、贋作ではないかと言われ、イスラエルでは裁判まで行われました。結局、二〇一一年に「判断不能」と結審しています。
墓の入口は、石を転がしてしっかりとふさぎます。地面にみぞが掘られておりそこを転がすのです。
聖書で、イエスの墓へ向かった女性たちが、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」(マルコの福音書16・3)と言っているのは、この石の扉のこと。直径一メートルぐらいあり、転がすのはかなり大変です。男性二、三人でできるか、というところでしょうか。

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安息日―シャバットが終わるのを待って、週の初めの日、つまり日曜日の明け方早くに墓へと向かう女性たちは「香料を持って墓に着いた」(ルカの福音書24・1)とあります。これもまた、奥の部屋に、布にくるまれてそのまま置かれている遺体の腐敗臭を消すためのものです。