つい人に話したくなる 聖書考古学 第8回 イエスの墓はどこ!?
杉本智俊
慶應義塾大学文学部教授、新生キリスト教会連合(宗)町田クリスチャン・センター牧師(http:// www.mccjapan.org/)
Qイエスの墓は発見されていますか?
イエスが十字架につけられた丘、そしてお墓のあった場所に建てられたのが、エルサレムの聖墳墓教会です。
聖書に、「イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。……墓が近かったので」(ヨハネの福音書19・41、42)とあるように、十字架につけられた場所と墓はかなり近かったようです。聖墳墓教会内にこの二つの場所があり、その距離間は十メートルぐらいです。
まず、聖墳墓教会に入って右側の階段をあがると、イエスが十字架につけられた丘、「ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)」(マタイの福音書27・33)のてっぺんを見ることができます。防弾ガラスでおおわれているので、触れることはできませんが、豪華に飾られた祭壇が置かれ、世界中から多くの人々が訪れます。イエスの墓とされる場所は、教会に入って、そのまま左に進んだところにあります。こちらもかなりきらびやかです。聖地として、主にギリシヤ正教やカトリック教会がこの場所を管理をしていますが、彼らは自分が大切にするものを飾ってあげたいという思いをもっています。華美を排して、理性的に礼拝しようとするプロテスタント教会とはかなり違いますね。
プロテスタント教会には、別の場所をイエスの墓だと考える人たちもいます。十九世紀末に、あるイギリス人が発見した場所で、「園の墓」と呼ばれています。豪華に飾られた聖墳墓教会と異なり、自然あふれる公園のため、イメージと合うのかもしれません。「園の墓」のすぐ横にある岩がどくろのように見えること、また、この墓が城壁の外にあることが根拠です。聖書には、イエスの墓やゴルゴタは城壁の外にあったと書かれています。「イエスも……門の外で苦しみを受けられました」(へブル人への手紙13・12)
たしかに、死者と触れると汚れる、とされたユダヤ社会では城壁の外に墓がつくられました。一方、聖墳墓教会は、城壁内―現在の旧市街内にあるのです。
Qどちらが本当のお墓なのでしょう?
私は、いくつかの理由から、四世紀にすでに建てられていた聖墳墓教会のほうが正しいと考えています。
まず、聖墳墓教会が城壁内にある件ですが、現在の城壁は、オスマン・トルコ時代にスレイマン大帝が造りました。イエス・キリストの時代からおよそ千五百年後のことです。そのとき城壁の位置が、ローマ時代の城壁の位置とズレたのです。聖墳墓教会の隣にロシア正教の教会があるのですが、その地下から、城壁の一部と門の跡が見つかりました。その門は、歴史家ヨセフスが書き残した「裁きの門」とされます。つまり、イエス・キリストの時代には、現在の聖墳墓教会の場所は「裁きの門」のそばで、城壁のすぐ外に位置していたと考えられるのです。
もうひとつの根拠は、お墓の形です。お墓は時代によって形が異なるのですが、「園の墓」は、旧約聖書時代の墓の構造なのです。聖墳墓教会にあるイエスの墓は、改変されていますが、その奥にもう一つ墓があり、それはローマ時代のものです。そのため改変された墓も、同じローマ時代のものだったことが考えられます。
ほかにも、聖墳墓教会の場所が、イエスの裁判が行われたアントニア要塞や、十字架をかついでイエスが歩いた道―ヴィア・ドロローサに近いこと。また、ゴルゴタと墓の距離も、「近かった」という聖書の記述と合います。
最近では、エルサレムのタルピオットで発見された墓をイエスの墓だと主張する人もいます。「ヨセフの子イエス」「マリヤ」など、イエスの家族の名前が記された骨箱(オシュアリ)がまとまって見つかったからなのですが、信憑性は低いでしょう。これらの名前は、珍しいものではなく、発見された場所も、イエスが十字架刑につけられたエルサレムからかなり離れています。なにより、もしイエスが十字架刑を逃れて隠れ住んでいたなら、名前入りの立派な墓をつくることなどしないでしょう。すぐに復活信仰を否定されてしまうからです。
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残念ながら、聖墳墓教会にあるイエスの墓は、かなり改変されてしまっています。当時のお墓の雰囲気を知りたければ、「ヘロデ家の墓」(ヘロデ大王のものではありません)を見るとよいでしょう。この墓は、世界のVIPや首脳が泊まるエルサレムで一番高級な「キング・デビッド・ホテル」の庭の南側に現在も残っています。中に入ることはできませんが、入口を見ることはできます。