これって何が論点?! 第1回 憲法は、だれのためのもの?

星出卓也
日本長老教会
西武柳沢キリスト教会牧師。
日本福音同盟(JEA)社会委員会委員、日本キリスト教協議会(NCC)靖国
神社問題委員会委員。

先月号で、「憲法によって、政府と権力の暴走を常に見張ることは私たちの大切な役割です」とありましたが、憲法は、私たち国民が従うべきルールじゃないのですか?

「憲法は、国民が従うべきルール」と思っている方も多いかもしれませんね。しかし、現憲法の役割は、実はその逆です。日本国憲法第99条は、次のように記しています。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
ここには「国民」と記されていないことに注目してください。つまり、日本国憲法は、主権者である国民が、天皇をはじめとする公務員、つまり政府に「これを守るように」と課しているのです。憲法を守るように命令しているのは国民、命令されるのが政府です。

Q〝日本国憲法”は、押し付けられたものなのか。

憲法改正を志す人々は、今の憲法は「押し付け憲法」だから、日本は自ら憲法を考えるべき、と主張します。具体的には、日本国憲法は敗戦後に占領軍によって押し付けられた、という意味でしょう。しかし考えたいのは、憲法というものは、そもそも押し付けるものだということです。先にあげた通り、政府の権力や権限に制限をかけるのが憲法の本来の役割です。今の政府が憲法を「押し付けられた」と窮屈に感じているということは、憲法がちゃんと機能している証拠です。問題は「押し付ける」ことではなく、誰が誰に対して押し付けているのか、その主権のありかです。
日本国憲法の三大原則の一つ「国民主権」は、近代の考え方です。敗戦前の明治憲法では、主権者は天皇でした。天皇の下に臣民は位置しており、人権も天皇が臣民に与えるものでした。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(明治憲法第3条)とあるように、天皇は憲法を超えた存在でした。天皇の権限を憲法が縛るという発想そのものがなかった、と言ってもよいでしょう。その旧憲法が現憲法に改正されたのは、革命的なことでした。主権者は天皇から国民へ。まさに、主客逆転です。絶対不可侵の天皇から、政治的権限をはく奪し、天皇が行うことができる行為は、日本国憲法によって、第7条の「国事行為のみ」に制限されました。
つまり一九四七年の日本国憲法制定は、天皇主権から国民主権への変革。憲法を押し付ける側が、天皇から国民に変わった革命的な出来事でした。

Q〝日本国憲法”は、どうやってできたのか。

では、なぜ占領軍がそのような憲法を「草案する」ことになったのでしょうか。敗戦後、アメリカからやってきた連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、〝軍国主義化”した日本政府を民主化された政府に変える使命を帯びていました。そのためには、民主化された憲法を制定することが第一の任務でした。当初、最高司令官マッカーサーは、日本政府が独自に自主改正することを望み、就任したばかりの幣原内閣に憲法改正を託しています。つまり日本政府は、戦後、自主憲法を実際に創ったことがあったのです。
しかし、その内容は、軍国主義排除・民主化路線からはほど遠く、天皇の政治的権限もそのまま、「明治憲法」をわずかに手直ししただけのものでした。幣原内閣から委託を受けた「憲法問題調査委員会」がそのような自主憲法を作成している間、GHQは日本の民衆が創った〝憲法草案”に注目していました。戦後、言論が自由化され、民衆による〝憲法改正草案”が世間に多く発表されていたのです。
特にGHQが注目したのは、戦時下に政府によって弾圧され投獄、公職追放された学者らを中心とする「憲法研究会」が発表した民間憲法草案です。そこには、国民主権、法の下の平等、身分による差別の撤廃、拷問の禁止までもが記されていました。GHQはこれを読み、日本人に憲法改正する力があることに大いに期待を寄せました。
そんな中、事件が起こります。
日本政府がGHQに草案を提出すべき日の約十日前、毎日新聞が政府案を紙面にスクープしたのです。
GHQはその内容を見て、日本政府には民主化憲法を創る能力がないと判断し、急きょ二十人ほどのスタッフを集め、憲法草案の作成を極秘で進めたのです。作成期限は一週間という短期間ながら、スタッフは世界中の憲法をかき集めて、人権を重んじた民主化憲法を徹底研究し、草案を仕上げます。その際、参考にしたのが日本の民衆が創った〝民間草案”だったのです。「国民主権」をはじめとして、かなり多くの民衆の案が盛り込まれ、GHQ案が完成しました。つまり、GHQ案は、日本の民衆とGHQによる連盟草案と言えるものだったのです。(つづく)

 

これって何が論点?! 第2回 日本国憲法は、だれが創ったの?