時代を見る目 229 時のしるしを見分ける [1]
水草修治
日本同盟基督教団小海キリスト教会牧師
福島で原発震災が起こったとき、いく人かの方から「預言者的でしたね」と言われた。その8年ほど前から「原発震災の危機」をクリスチャン新聞や教会紙、ブログなどで訴えていたからである。だが、預言者的という表現に戸惑った。「主のみ告げ」を受けたわけではなかったからである。
当時、CMや学者たちは「安全神話」ばかり語っていた。だが阪神大震災以降、日本は地震の活動期に入り、毎年1~2回は震度6~7の地震が起きていた。そして、日本の原発の耐震設計はおよそ震度5。しかも30年以内に、東北地方太平洋側で地震が起こる確率は99%、東海地方は87%。近々、原発震災が起こることは明白だったのだ。
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しかし最近、改めて旧約聖書の預言書を読んでいて、あることに気がついた。預言者は当たり前のことを語る人々だったのである。申命記には“イスラエルの民が祭司の王国としてふさわしく、神を愛し、隣人を愛する生活をするならば、神はあらゆる面で祝福を与える。だが偶像を拝み、みなしご、やもめといった社会的弱者をないがしろにする不義の国になるならば、神は外国の軍隊によってイスラエルを滅ぼし、捕囚の憂き目にあわせる”という、神が定めた原則が明記されている。
そして、預言者が国内を見れば、そこには偶像礼拝がはびこり、金持ちは貧しい人々を搾取し、役人は賄賂を得て腐敗していた。しかも、東方を見渡せば、強大な軍事帝国が勃興しつつある。まもなく外国の軍隊がやってきて、この国を滅ぼし、人々を捕囚として連れ去るであろうことは明らかだった。
預言者は王と民に悔い改めを求めるが、そのことばに耳を貸す人はほとんどいなかった。そればかりか、「平安だ。平安だ」と、根拠のないことを言う偽預言者がはびこり、本物の預言者は無視され、迫害された。そのような状況の中、まもなく警告は現実となる。
預言者はごく当たり前のことを語る。だが、時代は「そんなことあってほしくない、だからあるはずがない」と受け入れないのだ。すべてのキリスト者に預言者的任務があるとすれば、まずは根拠のない安心を捨てて、現実を直視することではないだろうか。
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「偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか」(ルカの福音書12・56~57)