つい人に話したくなる 聖書考古学 第13回 取税人って何者!?

杉本智俊
慶應義塾大学文学部教授、新生キリスト教会連合(宗)町田クリスチャン・センター牧師(http:// www.mccjapan.org/)

Q取税人とは、どのような仕事ですか?

「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。』」(マタイ9・10~11)
取税人という職業は、ユダヤ人から「罪人」と並べられるほど、蔑まれていました。なぜなら取税人たちは、ローマ帝国のために同胞のユダヤ人から税金を取り立てていたからです。つまり、ローマ人の手先と軽蔑されたのです。取税人の仕事は、ローマ帝国に納める税金をユダヤ人たちから取り立てることです。税金には、収入に対する税金(所得税)や財産に関する税金(住民税)、通行税など、さまざまなものがありました。税金を集める仕事は、その地域の総督に与えられていましたが、実際には、税金を集める〝収税人”を現地で募集し、入札でいちばん高い値段をつけた人に取税人の権利を与え、集めさせました。取税人としての給与は、ローマ帝国から支払われるわけではなく、その分も含めて、ユダヤ人たちから徴税するというシステムでした。
つまり、取税人の権利を買った人は、指定された期日までに、指定された税金をローマ帝国に納めなければいけませんが、そのためにユダヤ人たちからどのくらい税金を取り立てるのかは、取税人自身に任されていたのです。ローマに納める金額は決まっているため、たくさん取り立てれば、その分、取税人たちの収入が増えるということです。当時のユダヤ人たちにとって、神の民である自分たちが、異邦人(外国人)であるローマ人に支配されていること自体、受け入れがたいことでした。
イエス・キリストの弟子たちも国の再興を願っていました。「そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』」(使徒の働き1・6)そのような状況で、自分がもうけるために、同胞であるユダヤ人から取り立てて、私腹を肥やそうとする取税人のあり方は、宗教的にも正しくないこととされたのです。

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当時は、親の職業を継ぐ人が大半でしたが、農業や漁業などは、生活に必要なものを作り出す職業だったので、たとえ貧乏だとしても、まっとうに生きているという意識を持っていました。けれども、取税人はお金のためならなんでもする人たちの就く職業であり、普通のユダヤ人はしないものとされたのです。
旧約聖書には、神殿を建てるときなどに、イスラエルの民から金銀、宝石を徴収した記述が出てきますし、十分の一のささげものについても記されています(マラキ書3・10参照)。つまり取税人が問題なのは、税金を集めること自体ではなく、ローマ帝国のため、異邦人のためにそれを行っていたということなのです。彼らは、世渡りには長けていましたが、人々からは嫌われていました。たとえシナゴーグに寄付をしようとしても、「汚れた金はいらない」と拒否され、羊飼い同様、裁判での証言は許されず、ユダヤ社会における社会的地位ははく奪されていました。取税人たちは、ローマ帝国の権限を使う立場にはありましたが、ユダヤ社会では共同体に入れてもらうことができず、自分たちだけのコミュニティーを形成していたのです。
新約聖書に出てくる有名な取税人ザアカイは、エリコの町の取税人たちのかしらでした。「それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった」(ルカの福音書19・1、2)。彼は取税人の中でも、かなりお金儲けに才覚があった人物なのでしょう。
一方、十二弟子のひとり、マタイはガリラヤの小さな町の取税人でしたから、そこまで偉くなかったかもしれませんね。「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい』と言われた」(マタイの福音書9・9)

 

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