恵み・支えの双方向性 第2回 自己中心と立場の違い
柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長
<〈自己中心性〉
私を含めて、人間は限りなく自己中心的だと思います。何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまを自己中心的というのですが、ハロルド・フィッチという神学者は、人間がいかに自己中心的かを示す次のような文章を残しています。「おかしくはないか、他の人があることをするのに長い時間かかると、あいつはのろいと言い、自分の場合は慎重だからと言う。他の人が言われもしないことを勝手にすると、出しゃばりだと言い、自分の場合は積極的だと言う。他の人が自分の意見を強く主張すると頑固だと言い、自分の場合はしっかりしていると言う。他の人が少しエチケットを破ると、礼儀知らずだと言い、自分の場合は個性的だと言う。他の人が上役の気に入るようなことをするとゴマスリだと言い、自分の場合は協力的だと言う。」
この場合、自分の態度や行動が他の人にどのように見られているかを考えることが欠落しています。自己中心の一つの特徴は、他の人のことを考えずに自分の世界に入り込んでしまうことです。電車の中で熱心に化粧をしている人はまわりの人がそのことをどのように感じているかに関心がありません。
〈自分の思い、人の思い〉
人は人との関わりの中で生きています。それゆえに、自分の有様が他の人にどんな影響を与えるかを考えながら生きていく必要があります。自分の言動が人に与える影響と、人の言動が自分に与える影響との微妙なバランスの上に、人と人との関わりが成立しているのです。当然のことですが、人間関係は双方向なのです。
人と人とのコミュニケーションで難しいのは、自分の思いと人の思いが異なる時です。一例を挙げてみます。親戚にあたる八十四歳の男性が入院した時の経験です。その日の受け持ち看護師さんが「おじいちゃん、オシッコ出た?」と尋ねたそうです。彼は「はい、先ほど出ました」と答えましたが、看護師さんの問いかけ方に強い違和感を持ったといいます。初めて会った患者に「おじいちゃん」と呼びかけるのはどうかと思うとのことでした。さらに「オシッコ」というのは子どもに対する言葉遣いで、大人に対しては不適切であり、「○○さん、お小水は出ましたか?」というような言い方をすべきではないかと言うのです。大会社の役員をした人だったので、それなりのプライドがあったのかもしれません。看護師さんは、親しみを込めた言い方のほうが患者にとってはいいだろうと思ったのだと私は解釈しました。善意でしたことがマイナスに働いてしまった例です。
私はこの看護師さんと話をしました。彼女は他のご老人にも同じように接していると言いました。私の経験も織り交ぜながら二人で出した結論はAさんに良かったことがBさんには良くないことがあるということでした。「この人にとって、今どのような言葉がけをするのがいいのか」を個々に考える必要があるのです。時には言葉をかけないで、じっとその人の話に耳を傾けるのがベストのこともあるのです。
〈立場の違い〉
コミュニケーションを考えるうえで大切な要素に、「立場の違い」があります。人は無意識のうちに立場をわきまえてしまいます。看護師は患者との関係において強い立場になり、患者は弱い立場になります。前に述べた看護師の言葉かけの背後に、自分が強い立場にあることを無意識的に感じていたということがあったかもしれません。
同じことが起こっても立場によって受け取り方は全く違うものです。私自身が経験したことをお話しします。淀川キリスト教病院へ行く近道(かなり細い)があります。ある朝、そこを車で病院へ急いでいたとき、道の真ん中をゆっくりと歩いている女性がありました。軽くクラクションを鳴らしたのですが、道を空けてくれません。もう一度鳴らしたのですが、駄目でした。次第に腹が立ってきて、ついにかなり感情を込めて強く鳴らしました。やっと道を譲ってくれましたが、「こんな細い道を車で通るなんて……」というような目つきでにらまれました。一週間後、車が使えなくて、同じ道を歩いていました。すると、いきなりかなり大きいクラクションが鳴りました。私はあわてて道を譲りました。道幅いっぱいのトラックがかなりのスピードで走り去りました。私は「こんな細い道をあんな大きな車で通るなんて……」という目つきでにらみつけました。人間は同じ状況でも立場の違いで全く違う反応をするものだと実感しました。