恵み・支えの双方向性 第5回 支える支援と寄りそう介護
柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長
〈支援と介護〉
ケアの双方向性については前に述べました。ケアは一方的に提供されるものではなく、ケアを通して多くのものを受け取る側面もあることに触れました。
ここでは、ケアの提供そのものに方向性があることについて述べたいと思います。結論的に言いますと、「支援」は下から支えるケアであり、「介護」は横から寄りそうケアだということです。私の母の介護を通して、このことを実感しました。母は一〇〇歳まで比較的元気で私たち夫婦とともに自宅で過ごしていましたが、一〇一歳になり、衰弱が進み、家で看ることができなくなり、介護老人保健施設に入りました。そこで七か月過ごしましたが、誤嚥性肺炎で亡くなりました。
自宅では介護保険で要支援2となり、入浴介助を受けるようになりました。ヘルパーさんは母を上手に下から支え、入浴させてくれました。特殊技術のように思えました。一〇〇歳を超えてから、足が弱り始め、杖から手押し車での移動になりました。やがてそれも難しくなり、ひとりでトイレに行けなくなりました。私が下から支え、トイレまで付きそい、ベッドに戻すようになりました。母をベッドから立たせるちょっとした技術があります。パジャマのズボンの後ろを持ち、体を支えながら引き上げるようにすると、比較的簡単に立てました。この技術は理学療法士から学びました。
母はやがて要介護4になり、排泄はおむつになりました。かろうじて食事は自分で食べていましたが、ベッドに横になっていることが多くなりました。見舞いに行っても、私はベッドのそばの椅子に座って、短い会話(にならないことも多い)を交わし、じっと手を握っているだけになりました。寄りそうことが唯一私にできることでした。
介護士さんの仕事の中で、排泄の介助はかなり重要な位置を占めます。少し手助けすれば自分で用を足せる時は、支援(下支え)が必要ですが、おむつになると、適切におむつを交換するという介護(横から)が必要になります。要支援から要介護に移行するのです。
〈技術で支える〉
支えるためには何らかの技術が必要です。人は身につけた技術を用いて人を支えます。寄りそうためには特殊な技術は必要ありません。必要なのは人間力です。しっかりと聴く力、その人をそのまま受け入れる力、寛容な心など、技術ではなく、人間として身につけている力が必要です。
普通、人は何らかの技術を身につけ、その技術を用いて、人の役に立とうとします。医療の世界でもこのことが言えます。
〈痛みが取れると困る麻酔科医〉ペインクリニックで様々な痛みに対して神経ブロックをしている麻酔科医がホスピスでのケアを見学したいとのことで、私の回診についてもらったことがあります。回診後の雑談の時、彼は、「私は患者さんの痛みが取れると困るのです」と言いました。患者が痛みを訴えているうちは、麻酔薬を変えてみたり、神経ブロックの場所や方向、深さなどを工夫したりできます。すなわち、自分の知識、経験、技術などを使うことができます。しかし、痛みが取れて、患者が不安や寂しさを訴えたとき、自分はどうしたらいいのかわからないのです。自分がもっている技術が使えなくなったとき、ハタと困ってしまうというのです。
〈ナトカリ先生〉ある病院の内科病棟にナトカリ先生というあだ名の医師がいると聞きました。この医師は腎臓病の権威者で、特にナトリウムやカリウムなど電解質の代謝の専門家です。彼は看護師の詰め所に来ると、まずカルテの一番うしろの検査用紙を見て、ナトリウムとカリウムのバランスをチェックして、ナトリウムが低ければ、それを補正します。そして患者のところへは行かずに、詰め所から姿を消すといいます。ナトリウムとカリウムにしか興味を示さない困った先生ということで、ナトカリ先生というあだ名がついたというわけです。彼は末期の患者に対しても同じ態度をとりました。電解質の補正には熱心でしたが、患者さんとのコミュニケーションはほとんどなく、病室へ顔を出さない日もあったということです。
自分のもっている技術で人を助け、支えることは素晴らしいことであり、大切なことです。しかしその技術が役に立たなくなったとき、自分の人間力を発揮して、しっかりとその人に寄りそうこともとても大切だと思います。