時代を見る目 246 地方だからこそ見えること [3] 明日に向かって
小形真訓
日本長老教会西部中会 巡回説教者
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて」……Y長老は朝が早い。四国は晴れの日数が多く、全国県別の調査では上位を四県が独占するほどだから、海上に昇る朝日を望むに不足はない。夜明け前から作業用軽トラにデジイチ、望遠ズーム、三脚を乗せて撮影ポイントに向かう。雲と波、海峡に向かう貨物船、やがて薄紫の雲の上に真紅の光が現れて一気に広がる。
街はもう動き始めている。この土地では何事も早め早めだ。それは人々が生きる勢いなのだろう。地方はそれぞれリズムを持っているが、中央はどうだろうか。力ある正統のはずが平均化されるうちに、何かが失われているような気がする。
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この町で私が目にしたのは生きることそのものの重みだった。ある老姉妹がわかめ漁でこけて腰を打ち、礼拝に行けないという(転ぶことを西日本では「こける」といい、実感がある) 。水を含んだわかめは想像以上の重量物のはずで、それを浜に引き上げようとしてよろめいたのである。彼女にとって収穫物の重みはそのまま生きることの重みと手ごたえだったろう。生きるとは耐えること。ともに耐えながら人々は同じ思いを分かち合っているようだ。
前号で中央と地方を比較した。中央は人を引き寄せる魅力ある存在だが、物事をやたらに抽象化する厄介なところがある。ローカルはそれを免れていろんな形で個性を発揮できる。多様性が地方の力だ。こちらは救いだ福音だというが、受け入れる側にさまざまの障害物があることに気づかない。だから相手に合わせて入り方の工夫が必要だ。独善的な押しつけや自分本位の長広舌を慎み、絶対に強者の位置につかない。高齢者や体に不自由のある人々には、分かりあえることばでゆっくり明瞭に話すことを心がける。
伝道はそこに住む人々の人生をしっかり受けとめなくてはならない。クセも迷いもあるが、教えるより求めるところを聴き取る。悩める者への共感あってのことだけれど。
そこで地方創生だが、掛け声だけではなく、明日に向かって人の心を動かす力も必要だ。それをなしうるのは福音のほかにない。福音の働きは個人の救いにとどまらず、未来に向けて人を整え動かすのではないだろうか。