恵み・支えの双方向性 第9回 ユーモアのやり取り
柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長
〈ユーモアの双方向性〉
医療現場では患者と医師の信頼関係がとても大切です。ホスピスという現場で、この信頼関係を築くのにユーモアが重要な役割を果たすことを経験しました。そしてユーモアの双方向性が成立したときには、信頼関係が深まるということも分かりました。
進行した食道がんで固形物がほとんど喉を通らない患者さん(女性)がいました。ある日の回診のとき、「いかがですか?」との私の問いかけに対して、彼女はいかにもつらそうに「ものが通らなくて」と言いました。何か喉を通るものはないかと考えていた私の頭に、一つの食べ物が浮かびました。私は彼女に「トロだったらトロトロと通るかもしれませんよ」と言いました。彼女の顔にかすかな希望が浮かび、彼女は「私も一日中トロトロ寝てないで、トロに挑戦してみましょうか」と言いました。そばで私たちの会話を聞いていたご主人が、「私もトロい亭主ですが、トロぐらいなら買いに行ってきますよ」と言い、すぐに立派なトロを三切れ買ってきました。なんと患者さんは二切れ食べました。文字どおりトロトロと入ったのです。
このエピソードにはユーモアのやり取り、すなわち双方向性があります。医師から患者へのユーモアの投げかけ、患者から医師へのユーモアの投げ返し、さらに家族のユーモア的応答もありました。ある雑誌の対談でこのエピソードを故河合隼雄先生(臨床心理学の大御所、元文化庁長官)にお話しすると、先生は「主治医のユーモアが患者の食道狭窄をトロかした素晴らしい話ですね」と言ってくださいました。私のユーモアの投げかけに、先生はユーモアで応答してくださったのです。ここにも双方向性があります。
〈ユーモア療法〉
日本ではまだそれほど盛んに行われていませんが、欧米諸国のホスピスではユーモア療法がケアの一環としてよく用いられています。私はユーモア療法の一つとして、患者さんと川柳の交換をしたことがあります。回診のたびに私の作った川柳を一つ患者さんに提供し、患者さんはご自分の作品を私に下さるという、いわば、川柳の交換です。
ある日のやり取りを再現してみます。
「先生、今日はどんな川柳ですか?」
「今日のはなかなか面白いですよ。ある患者さんの体験談を私が川柳にまとめたものです」
「どんな句ですか」
「見舞客 化粧直して すぐ帰り」
「なかなか面白いですね」
「あなたのは?」
「寝て見れば 看護師さんは 皆美人」
そばに居た看護師がすかさず、
「座るとダメなの?」
ともすれば暗くなりがちな入院生活を、ユーモアが持つ力を借りて、少しでも和らげたいとの思いから始めた試みです。ドイツのユーモアの定義に「にもかかわらず笑うこと」とあります。死が近いにもかかわらず笑う力を人間は持っています。
〈いたわりのユーモア〉
医師や看護師はケアの提供者です。しかし、そのケアは一方的ではありません。前にも述べたようにケアは双方向性なのです。日常の臨床で、患者さんからいたわられることがあります。それもユーモアでいたわられる経験をします。一例を挙げます。
乳がんの肺転移で衰弱が進み、ほとんど寝たきり状態のTさん。ある日の回診のとき、「いかがですか?」との私の問いかけに、ややいたずらっぽい目つきをして、答えました。「お蔭さまで順調に弱っております」
この答えを聞いたときに、私はTさんにいたわられたと思いました。毎日末期の患者さんと接し、死との対峙を続けることはかなり大変なことです。その大変さを思いやってくださったTさんは独特のユーモアのセンスでいたわってくださったのだと思います。
〈天国と地獄〉
ホスピス関係の国際学会でアイルランドの女医さんから聞いたエピソードです。在宅でホスピスケアを受けていた八十七歳の女性患者がいました。ある日の往診のとき、彼女は女医さんに、「あと数日であの世の感じです」と言いました。女医さんは思わず、「数日で天国へ……、そんな感じなのですか?」と尋ねると、患者さんは「私、天国でも地獄でもどちらでもいいのです。きっとどちらにも友だちがたくさんいると思います」と言ったそうです。女医さんは彼女のユーモアに慰められたといいます。